【F1】日本GPのベストレースは鈴鹿全体が沸いた2012年 表彰台の頂点に立つ夢は角田裕毅に託して (2ページ目)
そこから、セナは1台ずつコース上で前走車たちを抜いていき、1周目が終わる頃には8位、2周目には6位、3周目には5位、4周目には4位、そして11周目には3位まで浮上して、首位プロストとの差は10秒に。ここで小雨が降り始め、プロストのペースが落ちると同時に、セナは一気にプロストの背後へ。
雨脚が強まった15〜19周目の間、プロストがペースを落として2位のイバン・カペリ(レイトンハウス・イルモア)に追い立てられる一方で、セナは2〜3秒も速いペースで猛烈な追い上げを見せている。
そして、カペリがリタイアを喫して2位に上がった20周目にはプロストの1秒以下まで迫り、27周目の最終コーナーでわずかにミスを犯して縁石に足を取られたプロストに対し、セナはメインストレートで詰め寄り、幅寄せするプロストのさらにインの狭いスペースに飛び込んでオーバーテイク。
2005年のキミ・ライコネン(前編を参照)もすばらしかったが、後方からの挽回という点においては、1988年のセナが群を抜いていた。そこに雨がドラマを演出するのも、またセナらしかった。
セナの勝利はいつもドラマチックで、人々の心を揺さぶる。そこに雨が絡んでいることも極めて多い。セナ自身が「神を見た」と語ったように、なにか不思議な力が働き、雨がセナの初戴冠を後押しした。
この1988年日本GPは、雨のセナを象徴するレースのなかでもトップクラスのドラマだったと言えるだろう。
【勝手にランキング1位:2012年】
数ある日本GPのドラマのなかで、最も劇的かつ感動的だったのは、やはり小林可夢偉(ザウバー・フェラーリ)が表彰台に立った2012年の日本GPだ。
予選ではレッドブル・ルノーの2台(セバスチャン・ベッテル、マーク・ウェバー)とマクラーレン・メルセデスのジェンソン・バトンに次ぐ4位を獲得。決勝ではバトンがギアボックス交換で5グリッド降格となったこともあり、3番グリッドからのスタートで2位にポジションを上げながら、実力に優るフェラーリのフェリペ・マッサやバトンとの戦いになった。
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