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【F1】日本GPの歴代ベスト5を勝手にランキング 角田裕毅の成長を感じた「春の鈴鹿」は外せない

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

F1日本GP 1987年〜2024年
「超個人的」ベスト5・前編

 今週末、待ちに待ったF1日本GPが行なわれる。角田裕毅のレッドブル昇格によって、今シーズンの注目度は例年以上だ。

 日本GPの開催が近づいてくると、F1談義にも華が咲く。過去の日本GPのなかで、最も印象に残っているシーズンは──? F1ジャーナリストの米家峰起氏に「超個人的」日本GPベスト5を選んでもらった。

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 1987年から鈴鹿サーキットで行なわれてきた日本GPでは、数々のドラマ、数々の名勝負が繰り広げられてきた。

 我々が日本人だから、というだけではなく、タイトル争いを決するという意味でも、鈴鹿はそのシーズンの重要なレースになったり、レースの枠を越えたドラマを演出してきた場所だ。どのシーズンのどの日本GPも、それぞれにドラマがあり、甲乙つけがたい感動があった。

 そんな日本GPのなかから、独断と偏見でベスト5を選べという編集部の無茶振りを受け、なんとか応えていきたいと思う。

角田裕毅にとって4度目の日本GPがやってきた photo by BOOZY角田裕毅にとって4度目の日本GPがやってきた photo by BOOZYこの記事に関連する写真を見る【勝手にランキング5位:2005年】

「キミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス)が17番グリッドからまさかの大逆転優勝!」という鈴鹿の名勝負として挙げられることが多い2005年の日本GP。抜きにくいという鈴鹿のイメージを払拭したという意味でも、この2005年をベストに選ぶ人は少なくないと思う。

 そのくらい、最終ラップのメインストレートでライコネンがジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)を抜いてトップに立ったあの場面は非常に印象的で、あのライコネンをして「自分のベストレース」と語るほど、見事なドライビングとレース運びだった。

 当時のマクラーレンは、エイドリアン・ニューウェイが手がけた最速マシンのひとつ。鈴鹿ではタイヤの差も生かして1〜2コーナーや130Rで豪快なオーバーテイクを決め、最後は最終コーナーからの立ち上がり加速でぶち抜き。まさに切れ味の鋭いライコネンの真骨頂とも言えるレースだった。

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著者プロフィール

  • 米家峰起

    米家峰起 (よねや・みねおき)

    F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。

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