【F1】日本GPのベストレースは鈴鹿全体が沸いた2012年 表彰台の頂点に立つ夢は角田裕毅に託して (3ページ目)
タイヤ戦略の異なるマッサには先行を許したが、可夢偉はバトンを徹底マークして最後まで抑え込む。マッサから4秒差、バトンを0.5秒差で抑えきって3位でチェッカーを受け、自身初の表彰台を獲得した。
1990年日本GPで鈴木亜久里(ラルース・ランボルギーニ)が果たした日本人ドライバー初表彰台も、もちろんエポックメイキングな出来事だった。だが、マクラーレンとフェラーリの2強4台が自滅するという波乱の展開の末の結果でもあった。
しかし2012年の可夢偉は、予選から決勝まですべて実力で掴み獲った3位表彰台だった。
それもこの年のザウバーは、ベルギーGP(予選2位)や中国GP(予選3位)などいくつか特定のサーキットで驚異的な速さを見せたにもかかわらず、可夢偉はそういう時に限って不運に見舞われて結果を出せなかった。
その一方でチームメイトのセルジオ・ペレスは、基本的に予選で可夢偉の後塵を拝していたからこそギャンブル的な戦略を採ることとなり、それがマレーシアGP、カナダGP、イタリアGPでは大当たりとなって、3度の表彰台を獲得する活躍を見せていた。
そんな対比や悔しさ、もどかしさ、焦りが絡み合いながら迎えたのが日本GPであり、ザウバーのマシン特性を考えれば、可夢偉にとってはこれが最後の表彰台のチャンスかもしれないということはわかっていた。すでに翌年のザウバーのシート確保は不可能な状況になっており、残されたレースは少なかったからだ。
これまで何度も不運に泣かされてきた可夢偉だったが、そんなシーズンを通してのストーリーとともに、一喜一憂してきたファンたちの声援と思いを乗せて、完璧なレース週末を走りきり、ついに実力どおりの結果を手にすることができた。
3位でチェッカーを受けた瞬間、鈴鹿は可夢偉コールに包まれ、すべてが一体となった。優勝したセバスチャン・ベッテルも、ユーロF3時代からその速さをよく知る可夢偉の表彰台獲得を自分のことのように喜んで讃えた。
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