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佐竹雅昭はK-1休養中、ビートたけしの番組などで活躍 「空手家=食えない」という構図を打破した

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

空手家・佐竹雅昭が語る「K-1」と格闘家人生 第14回

(第13回:バンナ戦後のK-1長期休養の真相 ヘビー級での連戦に医師から警告「脳が委縮するかもしれない」>>)

 現在の格闘技人気につながるブームの礎を作った「K-1」。その成功は佐竹雅昭を抜きには語れない。1980年代後半から空手家として活躍し、さらにキックボクシングに挑戦して勝利するなど、「K-1」への道を切り開いた。

 59歳となった現在も、空手家としてさまざまな指導、講演など精力的に活動にする佐竹氏。その空手家としての人生、「K-1」の熱狂を振り返る連載の第14回は、長期休養中の芸能活動、そこで学んだことを語った。

K-1休養時のことについて語った佐竹 photo by Tanaka WataruK-1休養時のことについて語った佐竹 photo by Tanaka Wataruこの記事に関連する写真を見る

【休養中もメディア出演のオファーが続々】

 過酷な激闘の連続で脳へのダメージが蓄積した佐竹は、1995年5月から休養に入った。K-1が開催される前からテレビに多数出演し、格闘技界でトップの人気を誇っていたが、主な活動をリングから芸能界に移した。その芸能活動への思いをこう語る。

「僕が就職するのをやめて空手の道に進んだ頃は、格闘技や空手などは一部のマニアだけが見ていた世界だったんです。いろんな人に、『空手なんかやってお金になるの?』と聞かれましたよ。

 もともと空手を始めたのは、ケンカに強くなりたい、『空手バカ一代』の世界を極めたいという思いだけだったんですけど、空手でウイリー・ウイリアムスに勝ち、リングスでも負けず、K-1では世界一にはなれませんでしたがグランプリで準優勝をして、格闘技を知らない方々からも強さを認められるようになりました。そうなってくると今度は、空手、格闘技の世界をどう変えていくか、と考えるようになったわけです。

"空手家=食えない"という構図を打破しようと芸能界にチャレンジして、さまざまな方のおかげで稼げるようになった。『佐竹はお笑いばっかりやってる』なんて批判されたこともありましたけどね」

 持ち前の明るいキャラクターと笑いのセンスあふれる話術で、テレビ、ラジオ局から引っ張りだこになっていた佐竹のもとには、休養でリングを離れてからもオファーが絶えなかった。

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