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佐竹雅昭はK-1休養中、ビートたけしの番組などで活躍 「空手家=食えない」という構図を打破した (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

 撮影は欠場前からしていたが、休養から2カ月後の1995年7月には主演映画『1・2の三四郎』(市川徹監督)が公開。小林まことのプロレス漫画を映画化した作品で、佐竹は主人公の「東三四郎」を演じた。

「漫画の『1・2の三四郎』は大好きでしたから、オファーをいただいた時はうれしかったですよ。ただ、プロレスをやったことがなかったですから、映画に出演していたプロレスラーの高野拳磁さんなどに、ロープワークなどいろいろな動きを教えていただきました。

 プロレスシーンは、横浜の鶴見区にあった屋台村・ヨンドンで、カットなしのノンストップで撮影。自分で言うのもなんですが、悪くない動きだったと思いますよ。プロレスは格闘技と全然違いますが、ちゃんと訓練しないとできないジャンルだと勉強になりました」

【「本物のトップ」たちに学んだこと】

 ラジオは2局で、テレビでも多くのレギュラー番組を持つようになった。1995年10月からは、ビートたけしがMCを務めた『超天才・たけしの元気が出るテレビ‼』(日本テレビ系)へのレギュラー出演が決定。たけしや同じレギュラーの出演者など、芸能界のトップスターと交流を持った。

「たけしさんは格闘技が好きで優しい方でした。俳優の松方弘樹さんにも、収録が終わるとよく食事に連れていっていただきましたし、ロケでよく一緒になった島崎俊郎さんとも仲良くさせていただいた。一流のタレントさんは、根っこが真面目で気配りがすごい方ばかり。本物のトップとはこういう方たちなんだと思いましたね」

 強烈な記憶が残っているのは、元日の特番だった『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ‼』(日本テレビ系)だという。多くのお笑い芸人たちが過酷な企画に挑戦しながらクイズに答えていく番組で、佐竹はリング上でミットを持ったダチョウ倶楽部、松村邦洋らに蹴りを叩き込むなど、存在感を放った。 

「あの番組は、とにかくお金をかけてましたね。何百人というタレント、スタッフが熱海や沖縄などでムチャクチャやるんですよ。覚えてるのは、ヘリコプターに乗ってクイズの問題に答える企画。回答する時に地上を走っているトレーラーに飛び降りるんです(笑)。飛び降りる時にはトレーラーの周りが爆発するんですが、あれはすごかったですねぇ(爆笑)」

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