鹿島アントラーズで異彩を放つ「希少」なMF 日本にサイドハーフが育たなかった理由
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連載第35回
杉山茂樹の「看過できない」
鹿島アントラーズはちょっと変わったクラブだ。4-4-2を頑なに守ることが伝統のようになっている。川崎フロンターレでは4-3-3が多かった鬼木達新監督でさえも、4-4-2で戦っている。鈴木優磨を1トップ下と捉えれば4-2-3-1と言ってもいいはずなのに、表記は4-4-2だ。
横浜F・マリノスから鹿島アントラーズに移籍した小池龍太 photo by Fujita Masato 似たようなことが、かつてイングランドサッカーにも当てはまる時期があった。2000年代のある時まで、イングランドは4バックのほとんどが4-4-2だった。当時の欧州は、1990年代後半にフース・ヒディンク(PSV、オランダ代表などの監督を歴任)が発意した4-2-3-1が各地で流行していて、イングランドにもそれはじわりと伝播していた。マンチェスター・ユナイテッドやアーセナルも、4-4-2というより4-2-3-1と言ったほうが正しいようなサッカーをしていた。
しかし、クラブもメディアも頑なだった。ある地元記者は苦笑いしながら「布陣は3列表記が基本。イングランドに4列表記は馴染まないんだ」と語っていたが、4-2-3-1は4-3-3という3列表記でも十分対応できる。4-4-2へのこだわりは欧州の他の国々より強かった。
4-4-2と4-2-3-1。違いは「サイドハーフかウイングか」「2トップが横に並ぶか、縦関係を築くか」の2点になる。
4-2-3-1を流行させたヒディンクに尋ねてみると「簡単に言えば4-3-3の両ウイングをMF的にした布陣だ」と教示された。また当時のオランダ代表監督で、現役時代はミランでプレッシングサッカーの中心選手として活躍したフランク・ライカールトは筆者に、「プレッシングを売りにしたミラン式の4-4-2とオランダ伝統の4-3-3を足して2で割った布陣だ」と筆者に述べている。
一方、4-4-2はイングランドのみならずイタリアでも流行していた。厳密に言えば1990年代中ごろまでということになるが、プレッシングサッカーを提唱したアリゴ・サッキ(ミラン、イタリア代表などの監督を歴任)は自らのアイデアを、4-4-2を用いて実践した。4-4-2は、プレッシングの定番的な布陣だった。
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著者プロフィール
杉山茂樹 (すぎやましげき)
スポーツライター。静岡県出身。得意分野はサッカーでW杯取材は2022年カタール大会で11回連続。五輪も夏冬併せ9度取材。著書に『ドーハ以後』(文藝春秋)、『4-2-3-1』『バルサ対マンU』(光文社)、『3-4-3』(集英社)、『日本サッカー偏差値52』(じっぴコンパクト新書)、『「負け」に向き合う勇気』(星海社新書)、『監督図鑑』(廣済堂出版)、『36.4%のゴールはサイドから生まれる』(実業之日本社)など多数。