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落合博満に「おまえ、先発やりたいらしいけど抑えな」と言われた岩瀬仁紀は「先発をやりたい気持ちがなくなった」 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「抑えになって、逆にそこは助かりましたよね。1イニングを抑えることに集中できるので。抑えで"またぎ"をするのは、優勝争いの終盤とCSのときだけでしたから。実際、このまま中継ぎをやってたら長く続けられない、という気持ちもあって、常に先発に行きたかったんじゃないかと。だから、僕が長くできたのは逆に抑えになったからかな、と思います」

 岩瀬が「逆に」と繰り返す裏には、抑えの大変さがあり、抑えを10年以上続けられる投手が希少という事実もある。現役生活20年の投手ならではの言葉だが、05年の岩瀬はシーズン46セーブの日本記録(当時)を樹立。これは"大魔神"こと佐々木主浩(横浜)の45セーブ(98年)を超えるもので、初めて記録を意識しながらマウンドに上がったという。

「記録だけでも佐々木さんを超えたい、という気持ちはありました。抑えといったら大魔神なので、その記録を超えたら自分も自信を持てる......じゃないですけど、そういった感覚はありました」

 佐々木を超えた05年は最多セーブ投手賞を獲り、57回1/3を投げて被本塁打ゼロの防御率1.88。06年も40セーブを挙げ2年連続で同タイトルに輝き、落合中日2度目のリーグ優勝に貢献。この頃にはもう抑えとして十分に自信を持ち、意欲満々で登板していたのではないか。

「いや、そういったことはないですね。常に投げたい、とは思わなかったです。球場に行く時、行ってからも、できることなら今日は投げたくないな、と思ってましたね」

(文中敬称略)

つづく>>

岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)/1974年11月10日、愛知県生まれ。西尾東高から愛知大、NTT東海に進み、98年のドラフト会議で中日ドラゴンズを逆指名し2位で入団。入団1年目の99年シーズン途中から勝ちパターンの一角を担い、最優秀中継ぎ投手賞を受賞。その後も中継ぎで起用され、2004年からは抑えとして5年ぶりの優勝に貢献。07年の日本ハムとの日本シリーズの第5戦において、8回まで完全試合ペースの好投をしていた山井大介に代わり9回に登板。三者凡退に抑えてNPB史上初の継投による完全試合を達成。12年にはセ・リーグ史上最多の5度目、また最年長記録となる最多セーブのタイトルを獲得。18年9月28日の阪神戦でNPB初の1000試合登板を達成し、同年現役を引退。19年からは野球解説者として活動。25年に野球殿堂入りを果たした

著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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