落合博満に「おまえ、先発やりたいらしいけど抑えな」と言われた岩瀬仁紀は「先発をやりたい気持ちがなくなった」 (2ページ目)
もうひとつ、岩瀬の制球力が向上した要因は、谷繁と組むなかで外からのスライダーを覚えたことだった。いわゆる"外スラ"は右打者の外角ボールゾーンからストライクになる球だけに、打者が一瞬「ボールだ」と思ってくれないと甘いボールになってしまう。ゆえに向上を強いられたのも同然だった。では02年、キャンプから何か変えたことはあったのか。
「いや、変えたことはないですよ。でも、結局はまず真っすぐがキチッとコントロールできないと、ということにあらためて気づかされましたね。変化球はボール球を振ってくれますけど、真っすぐはラインがずれただけでバッターは振ってくれないですし、高さもキチッとコントロールされてないと『ボール』って判断される。
ということは、真っすぐってストライクゾーンで勝負しないといけないんですよ。だから、甘いところに投げなきゃいいっていう感覚で投げられる変化球と違って、真っすぐの精度だけは落としちゃいけない。じゃあ、どうしたらコントロールがよくなるか。徹底的に投げ込んで、体に覚えさせるしかないんです。実際、それをやっていったら、だんだんよくなりましたから」
【先発をやりたい気持ちがなくなった】
02年の岩瀬は59回2/3を投げ、失点はわずか8(自責7)で防御率1.06。03年も63回2/3を投げ、10失点で防御率1.41を記録し、自身3度目となる最優秀中継ぎ投手賞を獲得。谷繁加入効果の表われと言えそうだが、03年オフ、山田が監督を退任し、新たに落合博満が就任する。04年2月のキャンプイン前日、ミーティング後、突然、宿舎の部屋に落合が来て言った。
「おまえ、先発やりたいらしいけど抑えな」
新監督がいきなり来て、それだけ言って去っていくという行動に驚かされた岩瀬だったが、「抑え」指令はその場で受け入れていた。
「そこで初めて先発をやりたい気持ちがなくなって、リリーフで生きていくって決めたんです。抑えとなる以上、チームの勝ち負けを一気に背負うことになるので、相当な覚悟が必要だなと。屋台骨じゃないですけど、自分が舵を取らなきゃいけないなという心境になりましたね。チームを支えていくことになるので」
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