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落合博満に「おまえ、先発やりたいらしいけど抑えな」と言われた岩瀬仁紀は「先発をやりたい気持ちがなくなった」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 プロ入り以来、5年連続50 試合以上登板、防御率1点台が4度──。「この数字を見たら、岩瀬以外の誰が『抑え』をやるんだ」と落合は言った。

 岩瀬にとって04年は30歳となるシーズンだったが、新たなポジションに意識高く取り組んだ。キャンプでの調整法は変えず、気持ちの持ち方だけが変わると自覚して臨んだ。ところが、開幕直前のケガの影響で序盤は不調。

 6月頃から本調子を取り戻し、8月にはアテネ五輪に出場して不在の期間もあった。そのため04年は60登板で22セーブという数字だったが、落合中日として初のリーグ優勝に貢献。打線は得点力がなかったぶん、リーグ一の質を誇った投手力と守備力でカバーした。そのなかで抑え1年目の岩瀬自身、中継ぎとの違いに戸惑うようなことはなかったのだろうか。

【中継ぎと抑えの違い】

「違うのは同点の場面ですかね。中継ぎの時は同点で自分が抑えると、もしかしたら勝ちがつくという思いがあった。でも、抑えになると勝ちはいらないわけで。自分が締めてゲームが終わることに慣れてしまうと、同点の場面が投げづらくなる。セーブシチュエーションは攻めの気持ちがすごく出るんですけど、同点だとどうしても、守りに入りたがってしまう。

 ピッチャーって、守りに入ると弱くなるんです。だから投げづらくなるんですけど、同点で12回裏、自分が点取られれば負け投手じゃないですか。で、抑えても何のメリットもないですから、ピッチャーとしては。だからそこを引き分けで終わるって、メンタルとしては一番難しいところで、すごいことなんですよ。でも、それを表立って誰もわかってくれないっていう(苦笑)」

 見ている者にはわからない、大きな違いが明かされた。抑えが同点の場面で登板するケースは多くはないが、だからこその難しさもあるだろう。岩瀬の場合、中継ぎの時代が長かったから、なおさら違いを実感したのではないか。そもそも当時の中継ぎは"回またぎ"も普通のことだったから、その点でも、1イニング限定の抑えとの違いは大きかったことだろう。

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