【夏の甲子園2025】東北学院「悲運のエース」と呼ばれた伊東大夢の今 「過去の自分がひとり歩きして...」
東北学院「悲運のエース」が語るあの夏(後編)
2021年8月17日、ショッキングなニュースが駆け巡った。
東北学院(宮城)の出場辞退。優勝候補の愛工大名電(愛知)を破り、東北学院は松商学園(長野)との2回戦を戦うはずだった。辞退理由は、新型コロナウイルスの陽性反応が出た選手(1選手)の特定を防ぐという内容。松商学園は不戦勝となり、3回戦に進んでいる。
東北学院としては、当該選手をベンチから外して試合に出場する選択肢もあった。それだけに、出場辞退に納得のいかない選手もいたのではないか。そう想像して伊東大夢に聞いてみると、意外な反応が返ってきた。
現在、立教大の準硬式でプレーしている伊東大夢さん 写真は本人提供この記事に関連する写真を見る
【これ以上、求めてどうするの?】
「僕は素直に受け入れていました」
じつは、伊東は濃厚接触者に認定されており、隔離対象になっていた。出場辞退の報告は、リモートで参加したミーティングで知らされたという。
「画面越しに、泣いている選手の姿も見えました。でも、僕は『どうしたの?』と思っていて。すんなりと受け入れていましたね」
そして、伊東はポツリとこう続けた。
「1回勝って、燃え尽きちゃったんですかね」
チームとして「甲子園で1回勝つ」というスローガンを掲げ、実現していた。そもそも伊東は、甲子園に出ることすら、リアルに思い描けなかった人間である。
「はっきり言って、できすぎです。これ以上、求めてどうするの? と思っていました」
その後、伊東は約1週間の隔離期間を大阪で過ごしている。「ずっとテレビで甲子園を見ていて、楽しかった」とホテルでの生活をエンジョイした。
悲運のエース。
そんなイメージと実像のあまりのギャップに、私は戸惑いを隠せなかった。
当時、伊東が複雑な心境を語った記事も公開されている。だが、伊東はあっけらかんと「そんなこと言っていないんですよ」と明かす。伊東本人も、自分と世間の隔たりを痛感していたという。
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。




























