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【夏の甲子園2025】東北学院「悲運のエース」と呼ばれた伊東大夢の今 「過去の自分がひとり歩きして...」 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

「大学に入った当初は、肩が痛くてずっと野手をやっていたんです。でも、意外と知られていないんですけど、準硬式ってレベルが高くて。全然打てずにいたら、いろんな声がチラホラ聞こえてきて。『たいしたことなくない?』『甲子園で4番を打っていたのに』って。でも、自分からしたら、『もともとたいした選手じゃないんです』って言いたいわけです。周囲の過度な期待に苦しんでいましたね」

 大学2年の春までは、野球への情熱も失われていた。遊びを覚え、本格的に打ち込むことはなかった。

 ところが2年夏にグラウンド近くに転居し、「野球に集中しよう」と一念発起。肩の故障も癒え、トレーニングに集中する。すると、最速146キロと球速が上がり、3年春には9試合に先発登板するなどフル回転。リーグのベストナインに輝いた。今年8月には、北海道で開催される全日本大学準硬式野球選手権というビッグイベントが控えている。

 そして、伊東には密かな楽しみがある。

「準硬式は甲子園で試合をする機会もあるんです。11月21日に全日本大学9ブロック対抗準硬式野球大会の決勝戦や、東日本代表と西日本代表の試合(全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦)が甲子園であるんです。去年は9ブロック対抗で関東選抜に選んでもらっていたんですけど、肩の状態が悪くて辞退して。今年は選ばれて、また甲子園で投げている姿を両親や友達に見せたいですね」

 そして、伊東はふっと笑いながら続けた。

「でも、また甲子園のマウンドに立ったら、夢からさめちゃいそうですよね」

【大学卒業後は社会人でのプレーを希望】

 伊東にとって、あらためて甲子園とはなんだったのか。

 夢のまた夢だった甲子園という舞台。愛工大名電という強すぎる相手。空席だらけの特殊な環境。ナイトゲームという非日常的な空間。それらの要素が絡まり、伊東から現実感を奪ったのではないか。だからこそ、伊東は甲子園で輝いたのではないか。

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