江川卓は「空白の一日」で日本中を敵にした 阪神→巨人へ金銭トレードを希望していたが最悪の事態が起きた (4ページ目)
超人気球団同士の不可解なトレードは、日本国民が言いようのない怒りに震え、その憎悪はすべて江川に向けられた。のちに、江川と小林は交換トレードではなく、それぞれ金銭トレードという形となったというが、世間はそうは見てくれない。
江川も急遽、巨人入団会見を行なった。100人以上の報道陣が集まり、物々しい雰囲気のなかでのカメラのセッティング中に、ある新聞記者がいきなり怒号をあげたのだ。
「自分さえよければ人はどうなってもいいのか!」
23歳の江川は、ほとんど顔色を変えずに「そんなに興奮なさらずに冷静にやりましょう」となだめる。江川のその言葉に対して、日本中が余計に興奮しまくった。当時流行語大賞があれば、間違いなく受賞していたほど、悪感情としてのワードとなった。
当時のことを振り返って、江夏豊、田淵幸一、掛布雅之などの超一流選手たちに聞いても「政治家が介入してきた次元が違う話だから語れない」と異口同音に言う。それくらい、ほかの選手にしてみても、前代未聞の異質な事件だったのだ。
天下の巨人が野球協約をネジ曲げてでも獲得しようとした怪物・江川卓。『空白の一日』とはいったい何だったのだろうか。今でも江川は、この件について詳細は語らない。ただひとつ、これだけは断言できる。江川卓は何も悪くない、と。
(文中敬称略)
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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