江川卓は「空白の一日」で日本中を敵にした 阪神→巨人へ金銭トレードを希望していたが最悪の事態が起きた (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 この年、ヤクルトを率いて初の優勝を飾り歓喜に沸いた監督の広岡達朗は、江川事件についてこう言及した。

「自分の意思で自分の将来を決められないような立場の男を入団させると、将来に禍根を残すことになる」

 当時大洋(現・DeNA)監督の別当薫は「政治家のヒモつきではね」とあからさまな拒絶反応を示す。

 ただ巨人の選手内では「大人たちに振り回されたんだろうな」と、江川に同情の声が上がっていたという。当時、巨人の左のエースだった新浦壽夫は、江川云々ではなかったと言う。

【小林繁とのトレードで決着】

 それが、巨人内で急激に風向きが変わったのは、江川がドラフト1位された阪神との交渉に入ってからだ。金子鋭コミッショナーは、この江川問題を収拾させるため、一時的に野球協約第142条(トレードを前提とした新人選手との契約はできない)を破ってまで、江川を一旦阪神に入団させ、そこから巨人へトレードという裁定を下した。

 ここで巨人との契約が白紙になった江川は、阪神との交渉の場に立ち第1回は決裂した。トレードの話が確約できない以上、江川にとって阪神においそれと入団できない思いがあった。江川自身、ここまで多くの人が巨人入団のために尽力している以上、世論に負けて巨人以外の球団に入ることなど絶対にできない。江川はトレードの確約が出るまで渋った。

 ここから報道はさらに加熱し、江川へのバッシングがきつくなった。わがままのことを「エガワる」といった造語まででき、江川の心情を慮らずに巨人に固執している表向きの状況だけを見て、マスコミは罵詈雑言を浴びせた。

 あくまでも金銭トレードを希望していた江川だったが、最悪の事態が起こった。人的トレードということで話が進み、新聞紙上では連日連夜、西本聖、角盈男、加藤初、淡口憲治らの名前が紙面上を踊り、さらに左のエース新浦壽夫の名前まであがった。だが蓋を開けてみたら、キャンプイン前日の1月31日の羽田空港でエース小林繁が阪神トレードの記者会見をすることで、江川は阪神のユニフォームに一度も袖を通さずに巨人へ移籍となったのだ。

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