斎藤佑樹がリハビリで得た新発見「正しいフォームを求めようとするといい時に近づく」 (4ページ目)
正直、大学3年のあたりから、思いどおりのボールを投げられなくなっていました。その間も、いい時期、悪い時期はありましたが、いつも「今日はよくないんじゃないか」と不安な気持ちで投げていました。よく「いい時のことを思い出せ」と言われますが、いい時に戻ろうとするとうまくいかないんですよ。ならばこの機会に理想的なフォームを身につけようと思いました。
ただ、そこに挑戦していると、自然にいい時と感覚が似てくるから不思議です。戻そうとするとダメだけど、正しいフォームを求めようとすると、いい時に近づく。キャッチャーとの間にラインが出てくるんです。やっぱり、いい球を投げるためには、その感覚が必要なんだと思いました。
6、7月は、二軍のローテーションに入って投げていました。とはいえスピードは出ませんでした。速い球を投げる筋肉の動きには、まだほど遠かったんだと思います。中垣さん曰く、筋肉はビヨーンと伸ばすのではなく、パンッと伸ばすものだから、同じ動きをいかに短い時間でできるかが球を速くする理屈だと......。
でも、僕は思いっ切り筋肉を伸ばすのがまだ怖かったんでしょうね。どこまで後ろに引っ張っていいんだろうと思いながら、痛みが出ているわけでもないのに怖がって、筋肉が伸び切る前に自分で縮めようとしちゃっていた。それじゃ、速い球は投げられません。それができるようになるまでには、まだ時間が必要でした。
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プロ3年目の斎藤はなかなか一軍には戻れなかった。10月のシーズン終了間際になって、ようやく斎藤に一軍での先発機会が与えられた。その初球、斎藤が投じたストレートは128キロ──しかしこの試合、自ら手を挙げてマスクをかぶったファイターズのベテランキャッチャー、中嶋聡が、斎藤の球を受けて、意外な言葉を投げかけてきた。
次回へ続く
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実高では3年時に春夏連続して甲子園に出場。夏は決勝で駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合の末に優勝。「ハンカチ王子」として一世を風靡する。高校卒業後は早稲田大に進学し、通算31勝をマーク。10年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から6勝をマークし、2年目には開幕投手を任される。その後はたび重なるケガに悩まされ本来の投球ができず、21年に現役引退を発表。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役社長として野球の未来づくりを中心に精力的に活動している
著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。
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