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斎藤佑樹がリハビリで得た新発見「正しいフォームを求めようとするといい時に近づく」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 キャンプの頃は、オフにヒジの手術を受けた小谷野(栄一)さんと励まし合って練習してきました。オープン戦の頃は、左肩を痛めていた宮西(尚生)さんがパートナーでした。小谷野さんは開幕から一軍の試合に出場しましたし、宮西さんも開幕こそ間に合いませんでしたが、すぐに一軍に復帰しました。

 だから、3月の末から4月にかけてはちょっと感傷的になりましたね。ああ、そういえば卒業の季節なんだなと(笑)。一緒にリハビリしていた人が一軍で活躍すればうれしいんですが、なんとなく自分だけが置いていかれる寂しさがありましたからね。だから、卒業シーズンだな、なんて思って、卒業の歌を自分で歌っちゃったりしていました。ほら、卒業式で歌う『旅立ちの日に』とか(笑)。

 開幕は二軍スタートです。でも5月には二軍の試合で投げました。中垣さんの言葉どおり、2、3、4月の3カ月、地道にやったら5月に投げられるようになった......もちろん急に元に戻るというゼロヒャクの話ではないので、「そろそろ力を入れて投げてみようか」というタイミングを中垣さんは計算してくれていたと思います。

 その時「あっ、痛くない」と思えたんです。それまでは肩をすくませて投げていたのに、僧帽筋下部、肩甲下筋をしっかり使って投げられたから、肩のポジションもよかった。中垣さんってすごいなと、あらためて思いました。

【従来のフォームとの訣別】

 それでも一進一退、投げなければ痛みは出ませんでしたが、投げたあとは痛みなのか張りなのか、イヤな感じは残りました。その原因は、ボールを握った右手が頭から離れるところにありました。できるだけ頭の近くに右手を持ってきて、肩甲骨と胸郭と回すイメージで投げると痛くないことがわかって、そのフォームを身につけようと練習しました。

 腕を後ろの方でしならせると痛いけど、前でしならせることができれば痛くない。ボールをリリースする瞬間、どれだけしならせることができるかによってボールのスピードもキレも違ってきます。あの時、それまでのフォームは完全に捨てる覚悟を決めました。

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