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83試合で32本塁打「これはすごい選手が来た」西武黄金期のレジェンド助っ人・デストラーデを石毛宏典が語る (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――ちなみにデストラーデさんは、チームリーダーである石毛さんのプレーや言動を、常にリスペクトしていたようですね。当時、デストラーデさんにどんな声掛けをしていましたか?

石毛 オーレが西武にやってきた頃、自分にはキャプテンの肩書がありましたし、グラウンドやベンチ、ロッカーでも、チームリーダーに見えるような振る舞いをしていたんでしょう。そういう側面を見て、一目置いてくれていたんだと思います。

 あと、オーレはバッティングの調子が悪い時期がよくありました。ある時に「気持ちを切り替えろ!」と言いたくて、「Change your Heart!」って声をかけんです。そうしたら、「ハート? マインドではなくて?」と間違いを指摘されて(笑)。「それだと心臓をくり抜かれて死んじゃうよ」と笑っていましたね。

――好調な時には手がつけられなかった印象があります。石毛さんは「1990年の西武が、黄金時代の中でも最強だった」と言われていますが、同年の日本シリーズでデストラーデさんは2本のホームランを打つなどシリーズMVPに輝きました。この年の活躍がきっかけでメジャーの複数球団からオファーを受けるも拒否し、西武と引き続き契約しましたね。

石毛 親日家ということもあると思いますが、そういうところが彼の賢さなんじゃないかなと。普通に考えれば、年俸のいいメジャーの球団を選びますよ。ただ、彼にも考えがあったんでしょう。「いくら日本で活躍できたからといって、メジャーに行ったらどうなるんだろう。自分には日本のほうが合いそうだし、西武も歓待してくれている。今後も活躍を続ければ年俸も上がっていくだろうし、日本でプレーしていたほうが安定するんじゃないか」と。とにかくナイスガイだし、よく打つし、今思い返しても彼にはいいイメージしかありません。

(後編:清原和博はデストラーデにヤキモチ 西武「AKD砲」のライバル関係>>)

【プロフィール】

石毛宏典(いしげ・ひろみち)

1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル
「石毛宏典TV」はこちら>>

著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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