【プロ野球】篠塚和典は河埜和正の「つなぎ」で楽に打席に入れた 普段は大のビール好きで、オールスター前にアクシデントも?
篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(8)
河埜和正 中編
篠塚和典が「1980年代の巨人ベストナイン」で2番・ショートに選んだ河埜和正氏。そのエピソードを振り返る中編では、河埜氏のバッティングの印象、食事の場での豪快な飲み方、オールスターでのまさかのエピソードを語ってもらった。
2番で巨人のつなぎ役を担っていた河埜 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【パワーもあるつなぎの2番打者】
――1980年代の巨人では、1番・松本匡史さん、2番・河埜さん、3番・篠塚さんという打順になることが多かったと思います。河埜さんはどんな2番打者でしたか?
篠塚和典(以下:篠塚) つなぐイメージが強かったですね。松本さんが出塁すると、高い確率で走るので無死二塁になり、河埜さんがバントで送って一死三塁。バントだけじゃなく、右への進塁打もうまい選手でした。自分はそのあとを打つことが多かったですが、一死三塁で1打席目を迎えることが多かったですね。
松本さんは足が速いので、ボールを前に転がせばだいたい本塁に還ってくることができますし、けっこう浅い外野へのフライでも1点が入る。松本さんと河埜さんのおかげで、すごく楽なシチュエーションで打席に入ることが多かったです。
――河埜さんは逆方向(右打者の河埜氏から見てライト方向)に打つのがうまかったですね。流し打ちといえば篠塚さんの代名詞でもありますが、河埜さんのバッティングはどう見ていましたか?
篠塚 引きつけて右に打つこともあれば、引っ張る時もありましたね。相手のピッチャーや守備体形、自分のバッティングの状態など、状況に応じて臨機応変に対応していた印象です。身体能力が高かったこともあって、長打を打つパワーもありました。小技ができて、パワーも秘めている。首脳陣としては作戦を立てやすいタイプのバッターだったと思います。
1 / 3
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。








































