83試合で32本塁打「これはすごい選手が来た」西武黄金期のレジェンド助っ人・デストラーデを石毛宏典が語る (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【陽気で知的、愛された助っ人】

――1989年のシーズン当初はタイラー・リー・バンバークレオ(登録名:バークレオ)選手が在籍していましたが、バークレオ選手が極度の不振に陥ったことが、デストラーデさんを獲得するきっかけになりましたよね。

石毛 当時、西武の球団管理部長だった根本陸夫さんは、通訳と一緒によく海外に行って外国人選手を探していましたからね。オーレはメジャーでの実績はほとんどありませんでしたが、根本さんが日本の野球で通用すると見込んで獲得を決めたんだと思います。大当たりでしたね。

――陽気な性格ということですが、すぐにチームに溶け込んでいた?

石毛 そうですね。最近で言えば、WBCの日本代表で活躍した(ラーズ・)ヌートバーのような感じで、自分から積極的に溶け込んでいこうという姿勢を感じました。会話での受け答えもしっかりしていましたし、チームメイトとふざけあうこともあった。自ら打ち解けていこうという人間は、仲間からも愛されますよね。

 遠征先では、他のチームの外国人選手たちと一緒に食事に行くこともあったみたいです。そういうこともあって、日本の生活に早くから慣れていったんでしょうね。

――陽気な性格である一方、知的な雰囲気もありましたね。

石毛 オーレとは球場のロッカーが隣だったのですが、本を読んでいる姿を目にすることも多かったです。移動中の新幹線などでもよく本を読んでいましたね。オーレのお兄さんが弁護士で、自分も弁護士を目指していた時期もあったみたいですし、確かに知的な雰囲気を醸し出していましたね。

 顔は映画『スーパーマン』に出ていた俳優(主人公のクラーク・ケント役だったクリストファー・リーヴ)に少し似た感じがあって、ハンサムな男だなとも思っていました。ホームランを打った後のガッツポーズもかっこよかったですしね。

――弓を引くような豪快なガッツポーズでした。

石毛 そうですね。工藤(公康)もマウンドで同じようなポーズをとっていましたけど、オーレのほうがかっこよかったかな(笑)。秋山は日本シリーズでホームランを打った後にバック宙でホームインしたりしていましたし、当時の西武の選手はいろいろなパフォーマンスをしていましたよね。

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