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江藤慎一の打撃技術に「ミスター・ロッテ」有藤通世は驚き。「どんな球どんな投手にも対応できる」 (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 産経新聞社

 有藤は懐かしそうにこう述懐した。「確かに江藤さんのホームランで活気づいた印象がありますね。優勝の瞬間は、ファンであっという間にフィールドが埋まってオーナーが胴上げされていましたけど、僕なんか、ペーペーで永田さんがどういう人かもわからなかったですから。あとから、東京球場は永田さんが私財を投じて建設されたことを知りました。ロッテはホーム球場が変わってその後、仙台、川崎と使いましたけど、僕にとっての我が家はこの東京球場です」

 永田の意向を汲んで、メジャーリーグのキャンドルスティックパークを倣って造られたという東京スタジアムは、スロープが導入された先進的なバリアフリー設計が取り入れられ、選手ロッカーもまた従来にない広い面積が確保されていたまさにボールパークだったが、累積赤字がかさみ、1972年に閉鎖された。

 当時のパ・リーグは不人気で球団が球場を持つなどということは、現実には不可能であった。1970年のロッテの優勝は、たった11年しか存続しなかった早すぎたボールパークのフィナーレを飾る栄誉とも言えた。

 この年、ロッテはアルトマン30本、池辺22本、有藤25本、ロペス21本、山崎25本とホームラン打者を5人も輩出したが、江藤もまた6月からの加入にも関わらず11本のアーチを放った。

 移籍に至るまでは、大きな葛藤もあったが、プロに入って初めてのリーグ優勝を経験することができた。自らを追いやった者を見返すためにコンディションもまた戻ってきた。

(つづく)

【筆者プロフィール】木村元彦(きむら・ゆきひこ)
ジャーナリスト。ノンフィクションライター。愛知県出身。アジア、東欧などの民族問題を中心に取材・執筆活動を展開。『オシムの言葉』(集英社)は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞し、40万部のベストセラーになった。ほかに『争うは本意ならねど』(集英社)、『徳は孤ならず』(小学館)など著書多数。

【写真・画像】江藤慎一の軌跡を写真で振り返る

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