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江藤慎一の打撃技術に「ミスター・ロッテ」有藤通世は驚き。「どんな球どんな投手にも対応できる」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 産経新聞社

 6月28日、江藤は移籍後の8打席目に近鉄の左腕・小野坂清からホームランを放った。すでに1970年のシーズンは開幕していたが、船に乗り遅れることはなかった。この年、ロッテが濃人監督の下で10年ぶりのリーグ優勝に向けてひた走るなか、途中加入ながら、チームに馴染むのも早く、特に阪神から、山内一弘との世紀のトレードで移籍していた投手、小山正明とは、馬が合って可愛がられた。

 有藤は、ともに練習を重ねるなかで、江藤のバッティング技術の高さに舌を巻いていた。

「よく(技術を)盗ませてもらいました。僕がプロに入った時には、ロッテには榎本(喜八)さんという大打者がいました。レベルを上げたくて教えを請いに行ったりしたんですが、知らんぷりでした(笑)。それはそうです。プロは個人事業主ですから」

 榎本喜八は高卒1年目でクリーンナップを打った不世出のスラッガーで、19歳の開幕デビュー戦第4打席で早くも敬遠をされたという伝説を持つ。当時も現在もプロが習得した技術は飯のタネであり、後輩に伝授することは、下手をすれば自分の地位を脅かされることになる。新人に教える選手は稀有であった。

 ただ江藤は違っていた。見るなら見ろ、盗むなら盗めという姿勢であった。有藤は、52年前の記憶を手繰り寄せ、自身の欠点を自覚した上で解説する。

「僕がバッティングに関して参考にするのは1点だけです。俗にいうステップをしてトップを作る。その形だけを見るんです。僕はバックスイングの時に右ひじが背中に入るくせがあったのでその修正を考えていました。江藤さんを見てみると、理想的なトップの作り方なんです。だからどんな球にもどんな投手にも対応できる。ゲームではスライダー系狙いの待ち方でセンター方向にはじき返す。江藤さんが合流されてからは、本当によく盗ませてもらいましたし、リーグ優勝が懸かってきたタイミングと合わさって一緒に野球をやるのが楽しかったですね。僕らからすれば江藤さんは決して、チームの和をみだすような人ではなかったです」

 ロッテは小山、木樽正明、成田文男の投手陣に重量級打線を擁し、マジックを着実に減らしていった。やがて、これに勝てば優勝という西鉄戦を10月7日にホームの東京球場で迎えた。胴上げを目前にして硬くなったのか、ロッテは6回の表を終えて0対3でリードを許す展開だった。

 江藤はこの日、スタメンから外れていたが、西鉄先発の三輪悟を味方打線が打ちあぐねているのを見ると、濃人に直訴した。「自分に切り込みをやらせてください」口火さえ切れば、あとはアルトマン、ロペス、有藤、山崎裕之、池辺巌ら猛者が続いてくれると読んでいた。江藤の気性を長いつき合いから知る濃人もまた同じことを考えていた。「代打江藤!」を告げた。

 期待されてバッターボックスに送り出された背番号12は、カウントワンストライク、ツーボールからの4球目を捉え、左中間スタンドに叩き込んだ。1対3、江藤が風穴を開けたあとは、ダムが決壊するのを待てばよかった。アルトマン以下が打ちまくり、この回は結局、打者10人を繰り出して5対3と逆転に成功した。勢いに乗ったロッテは1点返されるもそのまま試合をクローズさせ、優勝を決めた。

 歓喜した観客はグラウンドに次々となだれ込んで来た。千住は、水道橋・後楽園や青山・神宮に比べれば、圧倒的な下町だが、その分、情に厚い。ファンの集団は背広姿の永田雅一オーナーを見つけると、取り囲んで胴上げを始めた。

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