中日VS巨人で起きた今ではありえない事件。中日の放棄試合となる寸前、江藤慎一のひと言で危機を脱した (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 共同

 後述することになるが、江藤はこの2年後に水原茂監督との確執で中日を去ることになる。

 井手は投手を3年やったあと、内野手にコンバートされ、権藤博や伊藤竜彦とサードのポジションを競うも芽が出ず、野球を辞めようかと考えていた時にその身体能力の高さをヘッドコーチであった与那嶺要に評価された。「俺が来年監督になったらお前を外野で使うから辞めるな」と言われて1972年から、新しい守備位置に挑戦する。やがて外野の守備固めには欠かせない存在となり、1974年の中日の優勝に大きく貢献する。

 この年、優勝を決めた10月12日の試合におけるとっておきのエピソードを井手は披歴してくれた。

「中日球場での大洋ホエールズとのダブルヘッダーで、2試合連勝すれば優勝。それができなければ最終節の後楽園での巨人戦2試合に持ち越されるという試合でした。さすがにそこまで行ってしまうと分が悪いのでここでどうしても決めたかった」

 前日は神宮でのヤクルトとの一戦、9回表に起死回生の高木守道の同点タイムリーが飛び出して、マジック2。中日有利となっての帰名ではあった。

「それでも不安でしたよ。前日がナイターで翌朝の新幹線で移動してデーゲームからの連戦ですから、正直、選手の身体はへばっていました。もしも先に点をとられたら、プレッシャーにやられてしまっていたかもしれません」

 2連勝で20年ぶりの優勝は決まるが、換言すれば連勝しなければ、10連覇を目指す経験豊富な相手と圧倒的に不利な敵地での決戦となり、実質的に覇権を逃すことになる。井手もベンチにいる周りの選手が、固くなっていることに気がついていた。星野(仙一)も高木も大島(康徳)も......。そこに相手の選手がひとり、ふらりとやって来た。大洋に移籍していた江藤だった。

「『お前ら、頑張れよ。今日は大丈夫だからな。任しとけ』と明るく宣言してくれたんです。あの頃はそういうもんなんですよ。打倒巨人にみんな燃えてるでしょ。だから、巨人以外のチームが優勝に近いとなると、他のチームは応援してくれるんです。もちろん、俺が手加減を加えて勝たせてやるから、ということではないですよ。実際、試合では江藤さんはヒットを打っていますからね(笑)。ただ、数年前までうちの大将だった人が来て、勝ち負けは任しとけって言ってくれた(笑)。その言葉で一気に緊張が解けたんです。何となく優勝はできるんじゃないかと思っていても、不安があるじゃないですか。そこで江藤さんが大丈夫だということで何か確信になったんですね」

 試合は2連勝で中日は20年ぶりの優勝を決めた。

 闘将は自分の声掛けが、かつての後輩たちにどういう影響を及ぼすか、もちろん知った上で行動を起こしたのであろう。井手はその気持ちを今でも忘れられないでいる。

「僕はフロントを含めて50年近く、ドラゴンズにいましたが、自分にとってはさっきの入団した年とこの優勝した年のオーダーは、ずっと忘れられずにいるんです。きっとふたつがつながっているんですね」

(つづく)

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