中日VS巨人で起きた今ではありえない事件。中日の放棄試合となる寸前、江藤慎一のひと言で危機を脱した (4ページ目)
山賊の酒盛りのような飲み会の中心に江藤はいた。しかし、首脳陣もまた江藤を頼った。
以下もまた明晰な井手の記憶の1ページである。
「僕が入団した年、西沢(道夫)さんが監督の時に審判の判定で揉めて放棄試合になりそうな試合が1回あったんです」
それは1967年9月20日に中日球場で行われた巨人戦だった。7回表、3対1でリードする巨人の攻撃で1塁に金田正一を置いて柴田勲がレフト線に長打を飛ばした。柴田はツーベースを狙って快足を飛ばしたが、投手の金田が自重して二塁にいるのを見て慌てて一塁に駆け戻った。この間、レフトの葛城隆雄、サード伊藤竜彦と中継されたボールはファーストの江藤のミットに収まり、柴田の右足にタッチされた。塁審の円城寺満はアウトを宣告。しかし、これに怒った柴田が円城寺を突き飛ばした。現在ならば、この段階で退場であろう。
しかし、更には一塁コーチの荒川博、ヘッドコーチの牧野茂も円城寺を追い回すかたちで手をかけた。すると審判は暴力に屈するかのように判定をセーフに切り替えたのである。
今度は中日側が激怒する。タッチした江藤、西沢監督、杉山コーチが血相を変えて抗議に走った。温厚で知られた西沢が激高して突いた。しかし円城寺は場内マイクで「タッチの要らないフォースプレーと勘違いしていた。セーフだった」と釈明。VTR判定のような明確な根拠もなく、抗議によってアウトがセーフに切り替わったことで円城寺は「私が審判を辞めて責任を取ります」と説明し、場内は球団役員やファンを巻き込んでさらにヒートアップした。
あらためて審判に暴力を振るったとして柴田と西沢に退場が宣告されたが、判定はセーフのままであり、事態は収拾がつかない。憤懣(ふんまん)やるかたない中日の選手たちはベンチに戻るどころか、試合途中で帰宅してしまおうと動き出した。しかし、放棄試合になると球団に莫大な負担がかかってくる。
「その時ですよ。退場になった西沢さんが江藤さんに『ここは悔しいが、慎一やってくれ。頼む』と言ったんです」
タッチプレーの当事者であり部類の負けず嫌いの江藤の無念さはいかばかりであったか。2点差で負けていてさらに1塁2塁とピンチを背負う。
「でも江藤さんが、笑って『仕方ない。よし、みんな行くぞ!』と声をかけたおかげで帰りかけた選手が守備位置に散ったんです」。すんでのところで放棄試合は免れた。
「リーダーシップがありましたね。そしてチームが好きだったんでしょう」
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