川崎憲次郎が明かす中日FA移籍の真実。当初はヤクルト残留かMLBの二択だった (4ページ目)
妻に相談し、一人じっくり考える。結論を簡単に出せなかったのは、3本の道はどれもいいものに思えたからだ。希望と不安。夢と現実。人生には常に二律背反がついて回る。
「どの道も『いいよ』と言われるなか、こっちに行けば何があるんだろうなと。ヤクルトならわかっているから踏み出すのは簡単だけど、アメリカか名古屋かとなったとき、どっちに行こうかなと。どっちに行こうが、絶対"何か"あるんですよ。一歩踏み出せば全然なんてことないんだろうけど、踏み出すまでの勇気が必要だった」
決断を下すまでの期限が迫ってくる。最後に背中を押されたのは、1本の電話だった。
「巨人だけには、とにかく勝ってくれ。名古屋という街は、そういうところだから」
声の主は、星野監督だった。現役時代は打倒巨人に心血を注ぎ、歴代6位タイの35勝を記録。1987年から中日を率い、闘将として巨人相手に火花を散らしている。そんな男から、「巨人に勝ってくれ」と頼まれたのだ。
川崎自身、ジャイアンツキラーとして名を馳せた。高卒12年で重ねた88勝のうち29勝は巨人戦で記録したものだ。セ・リーグに生きる男にとって、星野の言葉は響いた。
「星野さんは35勝で、俺は29勝。うまいこといけば、1年で追いつくかもしれない。星野さんの前で記録を抜きたかった。それがオレの夢だったんです」
新天地での背番号は、杉下茂、権藤博、小松辰雄らエースに継承される20番に決定。年俸2億円の4年契約で合意した。
じつは、中日は「メジャーがそれだけ出すなら、うちも出す」とさらなる高額をオファーしている。だが、川崎は固辞した。
「最初にバンと出してくれた金額がそれだったので、『それ以上はいらないです』と言いました。『気持ちが伝わりました。ありがとうございます』って」
川崎の行為は、"男気"と表現することもできるだろう。ただし、そのひと言だけで片付けられる決断ではない。
夢、現実、家族、誇り、挑戦心、仲間、愛着、そしてお金----。
はたして川崎は、どのように決めたのだろうか。
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