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川崎憲次郎が明かす中日FA移籍の真実。
当初はヤクルト残留かMLBの二択だった (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

「メジャーに行きたかった一番の理由は、いろんなことを経験したいという気持ちでした。もちろん成績を残したいけど、メジャーに行けばアメリカのベースボールをプレーできる。それからアメリカの文化、語学、トレーニング方法。自分がメジャーを経験すれば、下の者に伝えられると思いました」

 子どもの頃から大好きで続けてきた野球で、どこまで登り詰めることができるか。己の腕一本で生きるアスリートが、より高いレベルで実力を試したいと考えるのは当然だろう。

 同時にプロ野球選手にとって、野球は仕事である。お金を稼ぐ最大の手段であり、会社員のように長く現役生活を続けられるわけではない。

 養わなければならない家族もいる。FA宣言した頃、川崎の妻は第一子を出産したばかりだった。初めての子育ては、誰しも不安を覚えるものだ。それを異国で行なうとなれば、どれほど大変だろうか。

 プロ野球選手、夫という立場の狭間で、川崎は揺れ動いた。

 FA権の行使を考え始めた当初は、メジャー移籍か、ヤクルト残留かの二択で考えていた。選択肢が3つに増えたのは、決してポジティブな理由ではない。

「ヤクルトは、仕掛けが遅かったんです。それで自分を本当に欲しいのかな、と。監督、コーチ、選手たちが心配してくれて、『どんな話があったの?』って逐一聞いてくれました。でも『何もない』『マジか......』って」

 当時のヤクルトは、端境期にあった。1990年からの9年間で4度のリーグ優勝に導いた野村克也が退き、1999年から引き継いだ若松勉の下、2年連続4位に終わった。川崎がFA権を取得したのは、ちょうどそんな頃だった。

「スワローズには最初、熱意とか誠意とか『気』につながるものを感じられなかった」

 交渉を始めた当初、メディアにそう胸の内を明かしている。果たして、他球団は自分をどう評価しているのか。ヤクルトのエースがそう考えるのは、自然の流れだった。

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