2017.11.16

「何が足りなかったか」トライアウトに
現れた元ドラ1たちのプロ人生

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • 西田泰輔●写真 photo by Nishida Taisuke

「ドラフト1位」──数多のドラフト候補の中から毎年、選りすぐりの12人のみが手にできる輝かしい称号だ。11月15日、マツダスタジアムで開催された12球団合同トライアウト。首脳陣、ファンからの高い注目、多くの期待を一身に浴びながらも、悲痛な宣告を受け、ラストチャンスに懸ける3人の「ドラ1」たちの姿を追った。

2014年に中日からドラフト1位指名を受けた野村亮介 2014年、中日から単独1位指名を受けた野村亮介。静清高(静岡)時代に甲子園出場を果たし、進んだ社会人・三菱日立パワーシステムズ横浜ではフォーム改良に成功。ドラフト解禁となる3年目には指名有力候補のひとりとして名前が挙がるようになっていた。

 野村をドラフト1位に押し上げたのは、ある人物の存在が大きく影響していた。その人物とは前年のシーズンオフからGMに就任していた落合博満氏だ。山﨑康晃(当時・亜細亜大、現・DeNA)、有原航平(当時・早稲田大、現・日本ハム)らをスカウト陣が推すなか、落合氏は野村を推薦した。

「1位で入れるとは思っていなかった」と本人も驚く1位指名に加えて、球団が用意した背番号は中日のエースナンバーである「20」。大きな期待を背にスタートした野村のプロ野球人生だったが、その内容は厳しいものだった。

 入団1年目の2015年に3試合だけ一軍のマウンドを経験したものの、2年目、そして3年目となる今季は一軍登板なし。一軍で勝利を挙げられぬまま、中日を去ることとなった。

「フォームが安定しなかったことが一番大きかった」と技術面の課題を本人は挙げる。