マニー・ラミレス「土佐日記」。
レジェンドが高知で送った幸福な日々 (2ページ目)
それを裏付けるかのように、最終戦の試合前、球場スタンド裏のストレッチスペースでは、ひと足早い"サイン会"が行なわれていた。おそらくこの日がマニーとの最後の日になるであろうと、若い選手たちがあいさつをし、サインをねだっていたのだ。
それをうらやましそうに眺める地元記者。冒頭のセリフは、上司から試合前に行なわれる「サイン会に参加してこい」という命令を受け、整理券配布の2時間前に球場入りしたものの、75枚配布された整理券を手にすることができなかった記者のものだ。彼の悔しがり方からは、業務命令を完遂できなかった以上のものが伝わってきた。
この日、球場に集まった人は皆、マニーの虜(とりこ)になっていた。北古味オーナーは言う。
「ホンマ、地元になじんでいましたよ。高知の人も、有名人だからといってあんまりベタベタしませんでしたからね。公表していませんが、みんなマニーの(宿泊している)ホテルは知っていますし......」
こうした高知県民の持つおおらかさが気に入ったのか、マニーは時間があればレンタルサイクルで町をぶらついていたという。
「この間も、地元の人がバーベキューをやっていたら、いきなりマニーが顔を出して、肉をつまんでいったそうなんです。一応、何軒かの店には『マニーが来たら、何か食わしてやってくれ』と、つけ払いをお願いしているんですけど、それをお願いしてない店にもふらっと入ってきて、適当になんか注文しては、何事もなかったように出て行くらしいです。その店も、知り合いがやっているので笑い話で済んだのですが、ヘタしたら食い逃げですよね。日本円はあまり持たせてなかったので、どうしていたんでしょうね(笑)」(北古味オーナー)
そう北古味オーナーは笑うが、この球団の体質と高知の人々の気質は、マニーにぴったりとはまったのだろう。成績も気温が上がるとともに上昇していった。
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