マニー・ラミレス「土佐日記」。レジェンドが高知で送った幸福な日々 (4ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text&photo by Asa Satoshi

 この試合、マニーは「4番・DH」でスタメン出場した。メジャーでプレーしていた頃と比べ、胴回りが太くなった体はいかにも重そうだった。高知サイドから聞こえてくる評判とは裏腹に第1打席は三振、続く打席もショートゴロ。この打球を相手がエラーし、その間にマニーは二塁を陥(おとしい)れたが、走る姿は同じグラウンドでプレーする若い選手たちのそれとは明らかに違っていた。

 この日の対戦相手、徳島インディゴソックスの監督、養父鉄(ようふ・てつ)の言葉が頭に浮かぶ。

「さすがに、もう速い球にはついていけていませんよ。(マニーの)NPB入りは難しいでしょう」

 それでもこの日、球場に集まったファンはマニーがグラウンドにいてくれるだけでよかった。メジャーのレジェンドの雄姿を目に焼き付けられるだけでも、ファンは十分に満足しているようだった。

 ただ、満足していなかったのはマニー自身だ。

 3対4と1点ビハインドの5回裏、ランナーを二塁に置いて迎えた第3打席。マニーが叩いた打球は、左中間スタンドの背後にそびえる筆山の影に向かって高く舞い上がると、そのまま外野席に飛び込んだ。まるで、あらかじめ台本が用意されていたような逆転ホームランに、球場の時間がしばし止まった。日本に来て3本目のホームランは、高知で見せた初めての一発だった。

 このあとも"マニー劇場"は続いた。6回の第4打席は強振することなくライト前へ。打たれた徳島の関口明大は試合前、マニーについてこう語っていた。

「とにかく甘い球を見逃さない。それに、難しい球も軽打で対応してくる」

 その言葉通り、関口にとっての最後の対戦でもメジャートップクラスの技術にしてやられた。

4 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る