マニー・ラミレス「土佐日記」。
レジェンドが高知で送った幸福な日々 (5ページ目)
そして8回の第5打席。1ボールから2球目を強振すると、打球はライナーでレフト前に伸びていった。ここで代走を送られ、サンホ・ラシィナと交代したマニー。スタンディングオベーションを受けながら、ベンチへと姿を消した。
代走で出たラシィナは西アフリカのブルキナファソから来た20歳の選手だ。現地の日本人ボランティアに野球の手ほどきを受け、15歳のときに初めて来日した。そのときは、メジャーリーグのレジェンドと同じチームでプレーすることになるなど、夢にも思わなかっただろう。
「そう、夢なんだ。ビッグドリームだね」
そう語ったのは、マニーのあとの5番を任されている日系アメリカ人のザック・コルビーだ。実は、この男がSNSを通じてマニーとの入団交渉を行なったという。彼は、メジャーはおろか、マイナー経験もない。アメリカの独立リーグで1年プレーしたあと、日本のプロ野球に憧れて四国にやってきた。すでに4シーズン目。日本語もかなり理解できるようになり、今では球団職員も兼務する。マニーにとっても頼りになる存在だが、彼も自分がマニーとともにクリーンアップに名を連ねるとは思いもよらなかっただろう。その経験を彼は"夢"と表現した。
「このオレが、彼をここに連れてきたんだ」
試合中にもかかわらず、ザックはカメラマン席にいた私に声をかけてきた。彼の目線の先には、ふたりの名が並ぶスコアボードがあった。
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