NPBドラフトを目指すはずがシアトル・マリナーズとマイナー契約――24歳・大山盛一郎が日米をまたいで挑んだ1年間
今季は米独立リーグからスタート、最終的にマリナーズのマイナー契約選手としてプレーした大山盛一郎 photo by Phrake Photography
前編:24歳・大山盛一郎の2024-25日米プロ野球挑戦記
沖縄の興南高校を卒業後に単身渡米、短大(カレッジ)から4年制大学へ編入し、日米のプロ野球界を目指してきた大山盛一郎(じょういちろう)。現在24歳、今シーズンは米マイナーリーグでシーズンを終えたが、その挑戦はまだまだ続いている。
そんな大山の礎となっているのはどんな環境でも野球の面白さを発見する探求心。ここまで、紆余曲折の道のりをどのように歩んできたのか。
【アメリカの大学卒業後にもう一度日本へ】
「いや~、面白いですよ」
今季、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、2Aの舞台でシーズンを終えた大山盛一郎は約2時間にわたるインタビュー中、何度、こう言ったことだろうか。
2024年6月に卒業したNCAA(全米大学体育協会)1部のカリフォルニア大アーバイン校(UCI)では、マーセッド・コミュニティカレッジから編入した3年時以降、出場した全試合で先発。3年時は53試合に出場して打率.319、44打点、出塁率.418。9試合連続安打、9試合連続得点、7試合連続打点を記録するなどの活躍を見せ、チームが全米大学選手権に出場した4年時は、59試合でプレーして打率.296、55打点、出塁率.442を記録。2024年3月8日のコロンビア大戦ではサイクルヒットを達成している。
大学4年になる前の夏には、米大学のメジャーリーグドラフト候補生が集まるサマーボールの最高峰「ケープコッドリーグ」のオーリンズ・ファイアーバーズに所属。レギュラーシーズンで出場した39試合すべてに先発し、リーグ5位の打率.360、三塁打6本は同1位など確かな数字を残し、プレーオフでも活躍した。
3年時を終えたあと、プロ野球(NPB)ドラフト会議では、大山が大学に残ることを決めてドラフト外となった。
だが、大学を卒業した昨年は真剣だった。
2024年7月にメジャーリーグのドラフトで指名されなかった大山は、NPBドラフトに焦点を絞った。同年、ノースカロライナA&T州立大から東京ヤクルトに育成ドラフト1位で指名された根岸辰昇のように、ドラフト日まで自主練習を行ないながら待つこともできた。だが、5年間日本を離れていたことで、「日本で自分がどこまで通用するかわからない」という疑問があった。そのため、ドラフト前に「もう一回、日本で野球を体験しよう」と決意した。
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著者プロフィール
山脇明子 (やまわき・あきこ)
大阪府出身。ロサンゼルス在住。同志社女子大在学時に同志社大野球部マネージャーと関西学生野球連盟委員を兼任。卒業後はフリーアナウンサーとしてABCラジオ『甲子園ハイライト』メインキャスター、サッカーのレポーターなどを務める。渡米後は、フリーランスライターとしてNBA、メジャーリーグ、アメリカ学生スポーツを中心に取材。

