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NPBドラフトを目指すはずがシアトル・マリナーズとマイナー契約――24歳・大山盛一郎が日米をまたいで挑んだ1年間 (2ページ目)

  • 山脇明子●取材・文 text by Yamawaki Akiko

【多くの学びを得たくふうハヤテでの経験】

 知り合いにその旨を話したところ、プロ野球二軍のウエスタン・リーグに参加する、くふうハヤテベンチャーズ静岡の連絡先を教えてもらい、池田省吾球団社長に自らを売り込み、シーズン終盤の8月からチームに加わった。

「最初の1カ月はよかったんです。8月はかなり打ちましたよ。自分でも『うわぁ、打てるな』と思ったんですけど、やっぱりそう甘くはいきませんでした」と大山。

「2カ月という短い期間だったので、その間に自分の長所を全部見せなければという焦る気持ちもありました。最初の1カ月は、フォアボールでも何でも塁に出るぞという姿勢で臨み、フォアボールも 1カ月目は結構取って、ヒットも出ていました。ただ長打がありませんでした。それで9月は、長打も打たないといけないと欲が出て、自分のなかでいろいろ試行錯誤している間に変に空回りしてしまいました。打とうと思い過ぎて、逆にピッチャーに打たされたり、自分のバッティングができなくて苦戦しました。そこも反省です。

 また日本のピッチャーのレベルは、やっぱりめちゃ高かったです。真っすぐはスッと伸びてくるし、フォークボールを投げるピッチャーも多いので、アメリカの大学で対戦したピッチャーとはスタイルも全然違うなと思いました。UCI(での最後)のシーズンもそうでしたが、去年は難しかったです。1年通して『うーん......』って感じで、去年のドラフトに関しては、手応えはゼロでした」

 案の定、指名されることなく、2024年NPBドラフトは終わった。もちろん落ち込んだ。だが、もともと前向きな大山だ。

「後半打てなくなったんで、『やっぱり(指名は)ないな』っていうのはありました。ただ、ドラフトがあってもなくてもハヤテではいい経験ができたので、自分が取った選択に後悔はなかった。 二軍とはいえ日本のプロでプレーさせてもらって自分の立ち位置とか、やっていけるかどうかを知ることができました。ドラフトにはかかりませんでしたが、学ぶことも多かったし、うまくなったので、逆にプラスでした。だからドラフトが終わってからのモチベーションは高かった」

 野球選手として成長できたことは確かだった。

 アメリカで天然芝に慣れていた大山にとって、土の内野での守備は、「跳ねるし、跳ね方も違う」ことからアジャストの必要性を感じた。そのため、(くふうハヤテの)山下幸輝守備走塁コーチと毎日練習後に「(ノックを)200個受けたり、ずっとつきっきりで教えてもらいました。そのおかげで、守備が本当にうまくなりました」。もともとアメリカでも守備には定評があったが、「『これだ』っていうような、しっくりくるようなものがありました」とさらに自信を深めた。

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