【高校野球】「勝とうと思うと、大事なものが見えなくなる」北陽野球部の礎を築いた名将・松岡英孝が最後まで貫いた教育者としての哲学 (4ページ目)
関大北陽・辻本忠監督 photo by SHiro Tanigamiこの記事に関連する写真を見る「1年生は練習が始まる2時間前にはグラウンドに出て整備をして、先輩のスパイクやグラブも磨く。あとは『あれせえ、これせえ』と言われないように、グラウンドの隅で目立たないようにしていましたね。『ああ、雨、降らんかなあ......』って、いつも空ばかり見ていました(笑)」
そう語る辻本の思い出といえば、やはり3年時に春夏連続出場を果たした甲子園だ。とくに夏は、初戦の富山商戦でライトを守る辻本がダイビングキャッチにレーザービームと攻守で存在感を発揮し、勝利に大きく貢献。
「3年間で唯一、新納監督に褒めてもらったのが、あの試合でした」
つづく市川(山梨)戦は、ダメ押しの3ランを含む5打点の活躍。しかし3回戦で仙台育英(宮城)に敗れ、夏は終わった。それでも3点ビハインドの9回表に同点に追いつく執念を見せた。辻本が振り返る。
「入学した頃の嘉㔟は『俺が甲子園に連れていったるわ』みたいな雰囲気を出していて、僕らも『おまえなんかに頼らんでも行けるわ』って返していたんです。でも、毎日あの厳しい練習を一緒に乗り越えるうちにチームの雰囲気もよくなって、3年になった頃にはめちゃくちゃ仲良くなっていました。だからあの夏も『まだまだ負けられへん。まだ一緒にやるで!』と、みんな同じ気持ちだったと思います」
同点に追いついたのも束の間、最後は北陽らしく "サヨナラ負け"で甲子園を去った。
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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