甲子園100大会のヒーローとなった吉田輝星 「カナノウ旋風」を巻き起こしたチームは準優勝 (2ページ目)
近江の4番・北村恵吾(現・ヤクルト)は「スライダーのキレがすごかった」と脱帽した。準々決勝までの4試合で奪った三振は51個。大会記録に並ぶ4試合連続の2ケタ奪三振は、2012年夏の桐光学園・松井裕樹(現・パドレス)に続く史上7人目の記録だった。
【大阪桐蔭「最強世代」に5回12失点】
ユニフォームの胸には『KANANO』の文字。地元では「カナノウ」の呼び名が定着する農業高校を後押しする風が甲子園を包み込む。
1984年にも、エース・水沢博文と長谷川寿のバッテリーを中心とした金足農は、夏の甲子園でベスト4に進出。「ミラクル」という枕詞とともに「カナノウ旋風」と呼ばれた。あの夏から34年。追い風を受けて再び準決勝に駒を進めた金足農は、日大三(西東京)と激突する。
吉田は4回裏に二死一、三塁とピンチを迎えたが、後続を空振り三振に仕留めてリズムを取り戻す。8回裏に失点して1点差に詰め寄られるが、9回裏の一死一、二塁のピンチを脱して強打・日大三を相手に1失点完投勝利を収めた。
創部以来初、秋田県勢としては103年ぶりの決勝進出。相手は春夏連覇を狙う王者・大阪桐蔭(北大阪)。決勝を目前にして、吉田はこう語っていた。
「自分の身が砕けても、マウンドに立ち続ける。身を削ってでも勝ちたい」
だが、その思いとは裏腹に、吉田の体は限界を迎えていた。大阪桐蔭の最強世代が初回から吉田に襲いかかり、3点を先取。4回には1番・宮崎仁斗、5回には5番・根尾昂(現・中日)にホームランが飛び出し、リードを広げる。
そして6回の大阪桐蔭の攻撃が始まる前に、吉田は外野手用のグラブを持って、ライトのポジションに向かった。秋田大会からここまでひとりで投げ抜いてきた吉田だったが、この夏、初めてマウンドを降りた。
「体全体に疲労が溜まっていた。でも、大阪桐蔭打線は思っていたよりもはるかに上だった」
決勝で5イニングスを投げて被安打12の12失点。奪三振は4個にとどまった。それでも第100回大会を盛り上げた吉田に、万雷の拍手が送られた。
吉田輝星(よしだ・こうせい)/2001年1月12日、秋田県生まれ。2018年夏の甲子園で金足農のエースとして全試合に先発し、チームを準優勝に導く。同年秋のドラフトで日本ハムから1位で指名され入団。19年6月12日の広島戦で一軍デビュー。5回84球を投げて1失点、4奪三振でプロ初勝利。21世紀生まれ初の勝利投手となった。その後は思うような結果を残せず、23年はわずか3試合の登板に終わり、オフにトレードでオリックスに移籍。オリックスでは貴重な中継ぎとして登板数を重ねている
プロフィール
佐々木亨 (ささき・とおる)
スポーツライター。1974年岩手県生まれ。雑誌編集者を経て独立。著書に『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社文庫)、『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボールマガジン社)、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)などがある。
2 / 2