聖光学院は「中学時代の実績は関係ない」というスタンス 無名だった3人の成り上がり物語 (4ページ目)
福島大会決勝でサヨナラ犠飛を放った片山孝この記事に関連する写真を見る
【中学時代はサードコーチャー】
三好の軌跡に同調するように言葉を強めていたのが、サードの片山孝である。
三好と片山は武蔵府中シニア時代からのチームメイトであり、彼もまた中学では三塁コーチャー、つまり控え選手だった。
バッティング能力はあるが、守備、とりわけスローイングに難点がある。それが、スタート地点の片山だった。Bチームに昇格後は一時期、外野に回されるなどの不遇も味わいながらも腐ることなく現実を受け止められたのは、兄の言葉もあったのだという。
「辛くても前に進まないとみんなと同じ土俵に上がれないからな。やれると思って行動しろ。そうすれば現実は絶対に変えられる。それが、聖光学院ってチームだ」
そう激励した敬も、2019年の夏にショートのレギュラーとして甲子園でプレーした聖光学院のOBでもある。弟は兄の想いを継ぎ、サードのレギュラーまで駆け上がった。
片山が自信を打ち出すように口調を強める。
「技術は二の次......二の次じゃないんですけど、指導者の愛情だったり、仲間の想いだったり、兄貴の存在だったり。そういうのがあるから頑張れるというか。自分、中学では2イニングしか試合に出られないような選手で、その悔しさがあるから今があるんですけど、高校では野球じゃないところもすごく原動力になっていると思うんですよ」
学法石川との福島大会決勝。片山は3失策をはじめ、記録に残らない部分でも守備で精彩を欠いた。「今までにないくらい、野球をやりたくない気持ちになった」というほど沈んだ男が、タイブレークの延長10回裏にサヨナラ犠牲フライを放ち、チームに勝利を呼び込んだ。
優勝の立役者は、顔を歪ませていた。
「打ったのは自分じゃなく、みんなの力です」
試合に出る者の背中には部員たちの力が宿る。佐々木や三好力生らベンチメンバーから外れた3年生から、「コイツらで敗けたら仕方がない」と認められた選手たちが、聖光学院のユニフォームをまとい、グラウンドに立つ。
安齋、三好元気、片山。中学時代に燃焼しきれなかった悔しさを持つ彼らは、託された想いを誰よりも胸に刻めているはずなのである。
生き様を証明する次の舞台は甲子園。
「高校では、見てろよ!」
男たちの成り上がりを、とくと見よ。
著者プロフィール
田口元義 (たぐち・げんき)
1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。
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