検索

聖光学院は「中学時代の実績は関係ない」というスタンス 無名だった3人の成り上がり物語

  • 田口元義●文・写真 text & photo by Taguchi Genki

 今夏の福島大会は、劇的な幕切れだった。タイブレークとなった延長10回裏に4点差を大逆転し、2年連続で甲子園出場を決めた瞬間を見届けていた聖光学院の横山博英部長は、選手たちの姿に目を細めていた。

「ミスも目立った試合だったけど、そういったものも味方全員でカバーしてくれたのが、甲子園に出られることよりもうれしかったね」

 そして横山は感慨を重ねるように、今年のチームをこのように評した。

「この子らは『疾風に勁草(けいそう)を知る』っていうのかな。そんな連中だったから」

 激しい風に耐える強い草──困難に立ち向かう姿勢や意志の強さなどを表す際に使われることわざを、横山は引用した。

福島大会決勝で4点差を逆転して2連覇を飾った聖光学院ナイン福島大会決勝で4点差を逆転して2連覇を飾った聖光学院ナインこの記事に関連する写真を見る 今年のチームは、はい上がってレギュラーの座をつかみとった選手が多かった。聖光学院には、もともとサードで入学し腰痛によって高校野球の多くをマネージャーとして過ごしながら、最終的にピッチャーとして福島大会でベンチ入りした()湯浅京己(阪神)のような選手は珍しくはない。今年に関しては、中学時代に実績を上げられずとも高校で逞しくなった──そんな雑草たちの集団でもあった。
※甲子園ではベンチ外

【高校入学後、本格的に投手へ】

 最後の夏にエースナンバーを勝ちとった安齋叶悟(あんざい・きょうご)は、中学時代はピッチャーですらなかった。福島・安達中の軟式野球部ではファースト。地域で結成される選抜チームで少しだけ登板経験があったと本人は話すが、中学3年の時に聖光学院の練習会に参加した際、初めて硬式球を投げたという。

 にもかかわらず、高校で本格的にピッチャーに転向した理由を、安齋が恐縮しつつ明かす。

「試合で三振をとる姿とか、やっぱりピッチャーってかっこいいじゃないですか。だから、高校ではやってみたいなって」

 聖光学院の指導者たちにとって「ピッチャー・安齋」の最初の評価は、「球質が強い左投げ」程度だった。そんな男が、エースにまでなれたわけ。安齋と地元が近く、小学時代から知る外野手兼応援団長の佐々木蓮は言った。

「あいつは小さいことでも、自分でやると決めたことはやり遂げることができるんです。それがつながったんだと思います」

1 / 4

著者プロフィール

  • 田口元義

    田口元義 (たぐち・げんき)

    1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。

若き日の大谷翔平など、甲子園を彩ったスター選手たち 〜「白球永劫」

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る