聖光学院は「中学時代の実績は関係ない」というスタンス 無名だった3人の成り上がり物語 (2ページ目)
聖光学院の背番号1を背負う安齋叶悟この記事に関連する写真を見る 安齋は小さなことでも妥協しなかった。たとえば牽制。1学年上の小林剛介から「おまえは下手だから、最低限できたほうがいい」と助言されると、安齋は教えを請い技術を磨いた。苦手だった牽制は、今では一番と言えるほどの武器となった。
さらに安齋自身が成長を自覚しているのが心だ。Bチーム時代、監督を務める横山から「誰にもマウンドを譲らない度胸があるピッチャーってかっこいいよな」など、背中を押されたことで責任感が生まれたというのだ。
「横山コーチからは『厳しい』と言われながらも、そうやってピッチャーとしての在り方を教えていただけたのが、今につながっているのかなって思いますね」
安齋の歩みは、聖光学院の性質を如実に表しているのかもしれない。
【中学時代の実績は関係ない】
昨年夏の甲子園ベスト4。これまで春夏合わせて23回の甲子園出場を数える強豪には、中学時代から名の知れた実績ある選手がそれなりに入学してくる。しかし、聖光学院は「中学時代の実績は関係ない」というスタンスを貫いている。
部員100人以上の大所帯である聖光学院は、育成チーム、Bチーム、Aチームで構成されている。新入部員は初日の練習で、野球の能力はもちろん、取り組みなどの姿勢をも厳正にチェックされる。いくら技術に長けていようと、態度が悪ければ問答無用で育成チームからのスタートに振り分けられるのだ。
育成チームを率いるコーチの堺了が言う。
「この段階で選手たちの基準をつくるんです。『野球はうまいけど、その前に人間性を鍛え直さないといけない』とか『人柄はいいけど技術がまだまだ。それはバッティングなのか守備なのか』とか。そこが明確になれば目標に変わるじゃないですか。その基準を理解できた選手っていうのは強いし、早く結果を出してBチーム、Aチームに上がっていけますよね」
堺が説明する聖光学院を、いち早く体現できたひとりが三好元気だ。
全国屈指の強豪チーム・武蔵府中シニア出身。そこで三好は、試合にすらまともに出場できないような控え選手だった。
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