山﨑康晃の逃げ出し事件、中村晃のジャンボ弁当箱、松本剛が大谷翔平から放った決勝打...帝京・前田三夫が回顧する教え子との思い出

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

帝京高校・前田三夫名誉監督インタビュー中編


帝京高野球部監督として多くの選手をプロに送り出してきた前田三夫・名誉監督帝京高野球部監督として多くの選手をプロに送り出してきた前田三夫・名誉監督この記事に関連する写真を見る 今季、パ・リーグの首位打者獲得した日本ハムの松本剛。帝京高時代、1年春からレギュラーメンバーとしてチームを引っ張る存在だった。プロの世界に挑んで11年。「努力が実るように」と、恩師である帝京の前田三夫・名誉監督(以下、前田監督)は初タイトル受賞に期待を寄せていた。

 前田監督は昨年夏に指導者勇退後、2022年7月、初の自伝である『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新社)を世に送った。当時の教え子との関わりも克明に記されているが、今回はそのなかから松本をはじめ、現役で活躍する3人の教え子との思い出を語ってもらった。

中村晃とジャンボ弁当箱

 教え子との思い出話で前田監督が最初に名前を挙げたのが、ソフトバンクの中心選手としてプレーする中村晃だ。帝京では1年夏にベンチ入りを果たすと、2年夏から3季連続で甲子園出場。球史に残る一戦と名高い智辯和歌山(和歌山)との激闘を演じた2006年夏は、2年生で一塁手だった。秋からは主将となり、センバツベスト4、夏はベスト8と好成績を残す。帝京の全盛期を支えたひとりである。

 そんな中村に対する懐かしい思い出といえば、弁当箱だという。

「その頃、私がグラウンドを離れたところで重要視していたのが、食。体が一番デカくなるのは高校時代だと聞いたから、先々野球を続けるためにもたくさん食べて土台づくりをしっかりしようと、選手たちに事あるごとに言っていたんです。

 ある日、選手たちがお昼の弁当を食べている部室に行ってみたら、1年生だった中村がびっくりするほど小さな弁当箱で食べている。これではなかなか、体は大きくなりません。そこで、俺が弁当箱を買ってきてやるから、ご飯をそれにたくさん詰めてもらうようお母さんに頼みなさい、と言ったんです。早速近所のスーパーまで自転車を走らせ、ジャンボタッパーとか呼ばれている3リットルのタッパーを買ってきて、中村に渡しました。

 理想としては、このタッパーに白米を詰め、それまで使っていた小さい弁当箱にはおかずを入れる。でも最初のうちは、タッパーに入れた白米の上におかずが乗っていたでしょうかね。それでも中村は翌日からちゃんとこの弁当箱を持ってきて、一生懸命食べていました」

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