山﨑康晃の逃げ出し事件、中村晃のジャンボ弁当箱、松本剛が大谷翔平から放った決勝打...帝京・前田三夫が回顧する教え子との思い出 (2ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

 監督自ら買って手渡してくれた弁当箱。それを中村のお母さんが、卒業後も記念として大切に取っていたそうだ。そんないきさつもあり、前田監督の心のなかに懐かしい思い出のひとつとして残っているという。

 中村が在籍していたのは今から15年ほど前になるが、前田監督が「食事トレーニング」を採り入れたのはそのはるか前。家庭の事情でパンや市販の弁当を持参する選手を見つけた時は、保護者に直接電話してできるだけの協力をお願いしてきた。

 中村は下級生の時からクリーンアップを打つ中心選手だったが、上級生から絶大な信頼を得ていたことも印象に残るという。

「帝京は選手同士の競い合いも激しいですからね。下級生がメンバー入りすると、上級生から生意気だなどと思われがちですが、中村にはそれがまったくなかった。とにかく練習の虫。真面目でストイックで、どんな練習にも進んでトライする野球小僧でした。しかも試合ではここぞの時に必ず打ってくれる。期待に応えられる選手だったから、上級生が中村に対して一目も二目も置いていましたよ」

 プロ入りしても、こうした姿勢はまったく変わっていない。中村のあだ名は「スナイパー」。狙った獲物は絶対に仕留める、勝負強いバッティングは高く評価され、誰もいない球場でのひとり練習も入団当初から有名だった。数年前まではオフになると必ずと言っていいほど母校の帝京に顔を出して練習に励み、前田監督もそんな中村を見るのを楽しみにしていた。

「でも最近は、オフの練習拠点を海外に移した関係で顔を見られなくなり残念に思っているんです。寂しいですが、一流選手になったという証拠。野球に対する気持ちに変わりがなければもっともっとやってくれると思います。これまで以上に、周囲の人間に影響を与えられる選手になってほしいですね」

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