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花巻東のブルペンで見た怪物の片鱗 大谷翔平、高校3年秋に受けた衝撃の154キロと捕球できなかったスイーパー

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

流しのブルペンキャッチャー回顧録
第3回 大谷翔平(ドジャース)

 大谷翔平を語るということになって、さてどう呼んだらいいのか......。はたと困った。あれだけの存在になってしまった人を呼び捨てにできないし、二度も会っておいて「大谷選手」ではあまりに他人行儀だし、親戚でもないのに「翔平」は親御さんに怒られそうだし......。

 さんざん思い悩んだ末に、こう考えた。会ったのが高校時代なんだから、その頃の「大谷くん」と呼ぶのがいいのではないか、と。

 大谷くんとの最初の出会いは、彼が花巻東高校の3年生になる直前の冬だったと思う。

 雑誌『野球小僧』の前代未聞の企画「流しのブルペンキャッチャー」もおかげさまで10年を超え、認知してくださる指導者の方も増えて、断られることも少なくなってきた頃だった。

 花巻東の佐々木洋監督が、「間違いなく、日本の野球界のトッププレーヤーになれるヤツ!」と言いきっていたという話を聞いていたので、かなり緊張して花巻に向かったことを覚えている。

花巻東高校時代の大谷翔平 photo by Sportiva花巻東高校時代の大谷翔平 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る

【ものの数秒でハートを鷲づかみに】

 花巻東のグラウンドは、学校の敷地内にある。ゴルフ場かと思うほど芝生の美しい「日居城野(ひいじょうの)運動公園」が裏手にあり、こんなに清々しい環境の野球部もそうはないだろう。

 スリムな長身のユニフォーム姿が、向こうから走ってくる。「大谷くん?」と思う間もなく、「こんにちは! 遠くからありがとうございます。お持ちします!」と挨拶し、私の野球バッグを持って監督室に案内してくれた。

 花巻東のウエルカム・グリーティング。もうそれだけで「大谷くん、大好き!」と、会ってからものの数秒でハートを鷲づかみにされた。

 前を歩く大谷くんの後ろ姿を見て、「あれ?」と思った。どこか歩きにくそうにしている。うっすらと積もった雪のせいだろうか......。いや、違う。踏み出す両足のバランスが合っていないのだ。

 じつは、下半身を痛めていると、佐々木監督から聞いていた。
 
「やめとこうか?」と聞いたら、「いや、大丈夫です!」と即答だったので、隣接する花巻球場(現・JALスタジアム花巻)のブルペンへと移動した。

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著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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