山﨑康晃の逃げ出し事件、中村晃のジャンボ弁当箱、松本剛が大谷翔平から放った決勝打...帝京・前田三夫が回顧する教え子との思い出 (3ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

大谷翔平から決勝打を放った松本剛

 中村の4つ下で、2022年の首位打者を獲得したのが日本ハムの松本剛だ。精鋭の集まる帝京にあって、入学間もない1年春からベンチ入り。際立つ身体能力の高さでショートを任され、1年夏、2年春、3年夏の3度の甲子園出場に貢献した。3年では主将で4番を務め、夏の東東京大会では打率6割という驚異的な数字も残した。松本のように帝京で3年間、主力としてやり通した選手は決して多くはない。

「1年春からメンバーとして使うというのは滅多になく、それほど野球センスに秀でていたのが松本。とにかく足が速く、内野も外野もできる。器用でミスが少なく、要するに穴のない選手でした」

2011年夏の甲子園、当時帝京主将を務めた松本剛主将(右)。左は花巻東主将の菊池倭2011年夏の甲子園、当時帝京主将を務めた松本剛主将(右)。左は花巻東主将の菊池倭この記事に関連する写真を見る 甲子園では、あの大谷翔平のいた花巻東と1回戦で対戦している。試合は追いつ追われつのシーソーゲームで、最後に笑ったのは帝京だった。

「8-7の1点差です。この貴重な勝ち越し点を7回にたたき出したのが松本。2ストライクを取られて追い込まれながらも、大谷の速球をライト前へ持っていった。大谷の体調が万全ではなかったとはいえ、140キロを優に超えるボールを投げていましたからね。それを松本は見事に打ち返しました」

 昨年暮れ、日本ハムでプレーする教え子4人が、勇退した前田監督のもとにそろって挨拶に訪れた。松本のほか、杉谷拳士、石川亮、郡拓也だ。この時、3人は私服だったが、松本だけはスーツ姿だった。

「最近ではそれがとても印象に残っています。別に私服で十分なんですが、人柄を表すというか、(松本)剛らしいなと。ただ、相変わらずやんちゃで明るい杉谷なんかに対して、少し元気がないのが気になっていたんです。

 その後、たまたま私が北海道に行った時、日本ハムの試合を見る機会がありました。石川が2ランスクイズを決めて勝った試合(6月11日・対中日)で、すぐに石川に電話。松本にも連絡しようと思ったのですが、私の声など聞いてペースを乱してもいけないと、この時は遠慮することに(笑)。それで石川に、剛にも頑張るように言ってくれと伝言するに留めました。

 松本も、早いものでプロ11年目なんですね。新庄(剛志)監督に抜擢され、開幕当初は期待に応えられなかったようですが、そのあとのワンチャンスを活かして勢いに乗った。今年はやるんだという心意気が、例年以上にあったんでしょう。7月にケガをして心配しましたが、初タイトルが決まったら今度こそ電話して、直接祝福の言葉をかけたいです」

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