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トルシエが明かす日韓W杯メンバー選考の真相「中村俊輔を外すことにためらいはなかった」 (5ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by Kyodo News

 ではもし、中村が負傷していなくてトップコンディションにあったら......。その時は状況がまったく異なっていたとトルシエは言う。

「三都主や服部、小笠原の代わりに、中村を選んだかもしれない。おそらく三都主か、小笠原が外れていただろう。中村が100%の状態だったら、彼は間違いなくW杯のグループに入っていたが、実際はそうではなかった」

 こうして、W杯を戦う23人が決まった。その発表の日、会見場にトルシエの姿はなかった。W杯初戦で戦うベルギー代表を視察するため、ノルウェー戦のあとも彼はヨーロッパに残っていた。代わって、選手のリストを読みあげたのは、日本サッカー協会強化推進本部副本部長であった木之本興三であった。

(文中敬称略/つづく)

フィリップ・トルシエ
1955年3月21日生まれ。フランス出身。28歳で指導者に転身。フランス下部リーグのクラブなどで監督を務めたあと、アフリカ各国の代表チームで手腕を発揮。1998年フランスW杯では南アフリカ代表の監督を務める。その後、日本代表監督に就任。年代別代表チームも指揮して、U-20代表では1999年ワールドユース準優勝へ、U-23代表では2000年シドニー五輪ベスト8へと導く。その後、2002年日韓W杯では日本にW杯初勝利、初の決勝トーナメント進出という快挙をもたらした。

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