中村憲剛&佐藤寿人が振り返る、思い出のワールドカップ。「岡野!なんでパスしてるんだよ!」
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日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
中村憲剛×佐藤寿人
第11回「日本サッカー向上委員会」@前編
1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。飾らない言葉が飛び交う「日本サッカー向上委員会」、第11回は今年11月にカタールで開催される4年に一度のビッグイベント「ワールドカップ」について語ってもらった。
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1997年のW杯アジア最終予選で活躍したFW岡野雅行この記事に関連する写真を見る---- おふたりがワールドカップを初めて見たのは、いつの大会ですか?
中村 僕は1986年のメキシコ大会ですね。リアルタイムではないですけど、小学校の低学年の頃にメキシコ大会の総集編のビデオテープを買ってもらって、本当に繰り返し何回も、何回も見ていました。もう、あの大会はマラドーナでね。マラドーナの大会でしたから。僕は右利きだけどマラドーナに憧れて、左足をめちゃくちゃ練習しました(笑)。
佐藤 僕は1990年のイタリア大会。あの頃は『キャプテン翼』の影響で、カール・ハインツ・シュナイダーがいた西ドイツが好きだったんですよ。双子の兄の勇人はブラジルが好きで、それぞれの枕に僕は西ドイツの国旗、兄はブラジルの国旗を書いて、寝ていたのを覚えています。
実際の選手だと、クリンスマンとかマテウスが好きでしたね。ただ、当時はまだ世界のサッカーが身近ではなかったので、ワールドカップの価値はよくわかっていなかったですね。世界のサッカーに触れられるのは『ダイヤモンドサッカー』くらいでしたから。
中村 情報を得られるのは『ダイヤモンドサッカー』とか『サッカーマガジン』くらいしかなかったからね。
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