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野口みずきが語る日本の女子マラソン黄金時代「私がアテネで勝てたのも、よきライバルがいたからこそ。バチバチしていました」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【金メダルをすごいなと思ったのは、実は最近です】

 前回のシドニー五輪の高橋尚子と、アテネ五輪の野口による日本女子2大会連続の金メダル。さらにアテネでは土佐礼子(三井住友海上)が5位、坂本直子(天満屋)が7位と、出場した日本の選手全員が入賞を果たした。日本はこの時、女子マラソンの黄金時代を迎えていたとも言える。

「私がアテネで一番になれたのは、その時代によきライバルがいたからだと思います。土佐選手や坂本選手、渋井(陽子)選手(三井住友海上)、福士(加代子)選手(ワコール)と、いい意味で気が強いランナーが多く、お互いに負けたくないとバチバチしていました。個人的には(4年後の)北京五輪では日本はもっと強くなるだろうなって思っていました」

 アテネから帰国した野口は"スター選手"になっていた。コンビニに行くと、商品の棚の隙間から見られて指を差されたり、自分が何か悪いことをしているかのように感じることもあった。アテネ前の日常がどんどん壊れていき、非日常の世界が増えていった。

「変わらずにいてくれたのは、(チームの拠点のある)京都の皆さんでした。朝練習の時にすれ違うおじちゃんやおばちゃんが『よかったね』と声を掛けてくださったり、商店街の方々も変わらずに接してくれました。

 でも、オリンピックの金メダルってすごいなと思ったのは、実は最近なんです。今年の夏に東京で世界陸上があるので、子どもたちにお話しをする機会が増えたんですけど、私のことはわからなくても、メダルを見せると、みんな目が輝くんですよ(笑)。金メダルって違うんだなって思いましたね。今、金メダルは、生きていく上で私のよき相棒になっています」

 アテネ五輪後、その金メダルを手にした野口は次なるターゲットに向かって進もうとしていた。

(つづく。文中敬称略)

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野口みずき(のぐち・みずき)/1978年生まれ、三重県出身。宇治山田商業高校から1997年にワコールに入社。その後はグローバリー、シスメックスに所属。2002年に初マラソンとなる名古屋国際女子マラソンで優勝、翌年の大阪国際女子マラソンも制し、2003年世界陸上パリ大会で銀メダルを獲得。そして2004年アテネ五輪では、前大会の高橋尚子さんに続く日本人女子2大会連続の金メダルに輝く。2005年ベルリンマラソンでは2時間1912秒の日本新記録で優勝。2008年北京五輪もマラソン代表に選出されるが、大会直前のケガで出場を辞退。その後は故障との戦いに苦しむも、2013年世界陸上モスクワ大会では代表の座に返り咲いた。2016年に現役を引退し、現在はメディアやイベントへの出演ほか、岩谷産業陸上競技部のアドバイザーなどを務める。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

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