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野口みずきが語る日本の女子マラソン黄金時代「私がアテネで勝てたのも、よきライバルがいたからこそ。バチバチしていました」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【金メダルを獲れたのは"お祈り"のおかげもあった】

アテネの激走を振り返る野口さん photo by Setsuda Hiroyukiアテネの激走を振り返る野口さん photo by Setsuda Hiroyuki

 ゴールして金メダルのインタビューを受けている時だった。暑さによる疲労が極限に達していたのか、急に吐き気に襲われた。その場で少し嘔吐した後、立っていられずに担架で運ばれた。医務室では、途中棄権した選手やゴールした後に倒れた選手が多数治療を受けており、まるで野戦病院のようだった。それほどアテネのレースは過酷だったのだ。

 医務室に運ばれる間、藤田監督は涙を流しながら「おまえ、よう頑張ったからチューしたるわ」と喜んでくれた。野口は「これ以上、気持ち悪い思いをしたくない(笑)」と思いつつ、藤田監督がここまで喜んでくれたことが心からうれしかった。

「藤田監督は、世界陸上で銀メダルを取った時も泣いてくれたんです。今まで指導してきた先輩では(1992年バルセロナ五輪・10000ⅿで12位、1996年アトランタ五輪・マラソンで12位の)真木(和)さんが一番メダルに近いところまでいったけど、五輪で一番というのが監督やコーチの夢だったと思うので、それを実現できて本当によかったと思いました」

 医務室で点滴を打ち、ドーピングコントロールを受けた。時差のある日本は朝を迎え、回復後、数本のテレビ出演をこなした。その後、チームで借りていた宿舎に戻ってきたのは午前3時頃だった。ワインで祝杯を上げた。数時間寝て、翌日は久しぶりに走らない朝を迎えた。

「朝起きた時は一番になった実感がなく、レース後も医務室に行ったり、バタバタしていたので優勝の実感があまりなかったんです。でも、メダル授与のセレモニーに出て『君が代』を聞いた時、金メダルを取ったんだなって実感がわきました。金メダルをかけてもらい、マラソン発祥の地で金を取れてよかったとつくづく思いましたね」

 金メダルを獲れたのは、「"お祈り"のおかげかな」とも思った。今大会、野口はスタート地点近くのマラトンという村に宿舎を構えていた。マラトンは、紀元前に「マラトンの戦い」の勝利の報告をいち早くすべく、兵士がアテネまでの約40kmを走り抜き、息絶えたという伝説発祥の地。その故事に基づき、マラソンが生まれたと言われる。

 野口は、レース当日の朝練習を終えた後、マラトンの戦いの戦没者の慰霊碑に「見守ってください」とお祈りをしてきたのだ。金メダルを獲れた時、きっと見守ってくれていたに違いないと思った。それから16年後、東京五輪の聖火ランナーの第2走者として野口はギリシャにいた。

「聖火ランナーを無事に終えて、帰国する前、どうしても行きたいところがあると言って、マラトンに連れて行ってもらったんです。そこで金メダルを取れたことに対して、あらためてありがとうございましたと伝えることができました」

 その日のマラトンも、アテネ五輪のスタート前と同じように、緑が深く、広い芝が気持ちよかったという。

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