「箱根駅伝は別モノ」神奈川大の新監督・中野剛が最も印象に残っている大会とは (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

――箱根を走ったことや神奈川大での経験は、その後の競技人生に何か大きな影響を及ぼしましたか。

「箱根の経験は別モノでした。駅伝ですが、別のスポーツみたいな感じです。個人的には4年間で基礎の重要性を学べたことが大きかったです。とにかく基礎の大切さを叩きこまれました。それは、今も僕が大事にしていることです。派手な見た目の練習もありますが、そういうのもジョグや体幹トレ等、すべて基礎の上に成り立つものだと思います。私生活においても基本的な生活があって、そこが崩れてしまうと競技に影響が出てしまいます」

 中野は1995年、神奈川大を卒業後、佐川急便(現SGホールディングス)に入社した。大学3年まではどこからも打診がなく、就職か和歌山に戻り、家業を手伝う予定でいたのだが、4年時に関東インカレ5000mで好成績を残し、一気に陸上への道が開けた。

 実業団選手として10年走ったあと、SGホールディングスで監督としても10年を超える時を過ごした2019年、チーム合宿をしていた際、中野のもとに電話がかかってきた。それは、神奈川大の大後監督からだった。

――大後監督からの電話はどんな内容だったのでしょうか。

「大後先生からの電話は、『俺もいつかやめる時が来るけど、最終的にはチームを任せたい』というものでした。うれしかったです。実は実業団の監督を退くことを考えていました。渡りに船じゃないですけど、『こんなチャンス、もうないな』と思いました」

――ご家族には相談されたのですか。

「うれしいことに家族会議をした際、誰ひとり反対する人がいなくて、もうぜひぜひという感じでした。僕も大後先生のもとで頑張りたいなと思いましたし、母校は僕の原点。指導者としてのキャリアも、母校で終わりたいと思いました」

 2021年、中野は26年ぶりに母校への帰還を決めた。

■Profile
中野剛(なかのつよし)
1991年神奈川大学入学。2年時には箱根駅伝デビューを飾り、その後も3年時には1区、4年時には2区を担当した。卒業後、佐川急便(現SGホールディングス)に入社。選手として活躍後、2008年に同監督に就任。2021年からは神奈川大学陸上競技部駅伝チームコーチに就任し、2023年に同ヘッドコーチに就任した。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

【画像】徳光和夫が愛する「巨人」と「箱根駅伝」を語る・インタビューカット集

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