「箱根駅伝は別モノ」神奈川大の新監督・中野剛が最も印象に残っている大会とは
神奈川大学陸上競技部駅伝チーム・中野剛新監督インタビュー 前編
第100回箱根駅伝了後、神奈川大学陸上競技部駅伝チームを35年間率いてきた大後栄治監督が勇退し、一線を退いた。そのあとを継ぎ、監督に就任したのが中野剛である。現役時代は自身も同校で選手として活躍し、箱根駅伝には3回連続で出場している。今回、その中野新監督を直撃。自身の現役時代を振り返ってもらいつつ、母校の指導者となった経緯などについて話を聞いた――。
神奈川大駅伝チームの中野剛監督 photo by Sato Shunこの記事に関連する写真を見る――中野監督は、もともと野球少年だったらしいですね。
「中学の時は、学校の部活ではなくクラブチームで野球をしていて、ショート、サードを守っていました。和歌山なので基本的に阪神ファンが多いんですけど、僕は巨人ファン。ずっと(野球を)続けていきたいと思っていたのですが、そのクラブチームが解散してしまったんです。そのまま学校の野球部に入ることも考えたのですが、学年ごとのマラソン大会で一番だったので、友人に誘われる形で陸上部に入りました」
――中学から陸上を始められて、高校の時は、どんな種目をメインしていたのですか。
「800m、1500m、マイルリレーを中心にもっぱら中距離がメインでした。県大会では800m、1500mで勝つことができましたが、近畿のレベルが高くてインターハイでは一度も走れなかったです。卒業後は関西の大学への進学を考えていたのですがうまくいかず、陸上を続けるか、ちょっと迷っていました」
――なぜ、神奈川大へ。
「高校の恩師と神奈川大の大後先生が日体大の先輩後輩で、『関東に行くなら聞いてやるぞ』と言われました。箱根の予選会の結果を見ると、どんどん順位が上がっていましたし、『ちょうどおまえが行く頃には箱根に出れるんじゃないか』と先生に言われましたので」
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著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。