バブルに消えたハリマヤシューズ。日本の「ものづくり」よ永遠に (2ページ目)
他にも、シューズにヒールカップを入れ、インソールを敷き、アッパーをメッシュ素材へと、常に他社をリードして新機軸を打ち出したハリマヤ。しかし一方で、1960年代から70年代の陸上長距離界は、オニツカ(現アシックス)のマラソンシューズ「マジックランナー」に席巻される。
1964年の東京オリンピックでは「マジックランナー」を履いた円谷幸吉が銅メダル、1968年のメキシコオリンピックでは君原健二が銀メダルを獲得。マメができにくい、文字通り「魔法のシューズ」として人気が高かった。
当時のハリマヤには最上位モデルとしてカナグリシューズを進化させた「ニューカナグリ」があったが、「マジックランナー」の一人勝ち状態で売れ行きが芳しくない。
ハリマヤは短距離用スパイクにも力を入れた
あるとき千葉は、ハリマヤの展示会にやってきたスポーツ用品店の店主に「マラソンシューズは2種類もいらないよ」と軽くあしらわれた。小売店からすれば、マラソンシューズはどれも同じようなもので、売れ筋の「マジックランナー」だけ置けばいいという感覚だったのだろう。
カチンときた千葉は、「おい、カッター持ってこい!」と部下に命じて、その店主の目の前で、ニューカナグリの靴底を真っ二つに割ってみせた。
「見てください。ニューカナグリはソールの作りが違います。足全体を包みこむようにU字型になっています」
ハリマヤではシューズのフィット感が増すように、ソールを貼り込むときに靴職人が1足ずつ手作業でU字になるように仕上げていた。平らなソールに足を入れるよりも、シューズの中で足が暴れずにブレが少ない。
「お店にニューカナグリも置いてください。どちらがいいかはシューズに足を入れたお客さんが決めてくれるはずです」
熱心に説明する千葉に気圧されて、その店主はニューカナグリを発注してくれたという。
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