バブルに消えたハリマヤシューズ。日本の「ものづくり」よ永遠に (7ページ目)
川見は、今も残念そうにこう語る。
「あの頃のハリマヤの木型、どこへいってしまったんやろ。あの木型さえあれば......。もしも今の時代にハリマヤのシューズを再生できたら、私のインソールと合わせれば最高の1足が出来上がるのに」
今もハリマヤシューズを保管するオリンピアサンワーズの川見店主
倒産時の混乱で四散したであろうハリマヤシューズの木型の行方は、今となっては知るすべもない。しかし黒坂辛作が改良に改良を重ねて作ったマラソン足袋の精神は、今なお川見のなかにしっかりと引き継がれていた。
(おわり・文中敬称略)
<参考文献>
『走れ二十五万キロ マラソンの父金栗四三伝』(長谷川孝道・著 熊本日日新聞社)
『箱根駅伝に賭けた夢 「消えたオリンピック走者」金栗四三がおこした奇跡』(佐山和夫・著 講談社)
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