バブルに消えたハリマヤシューズ。日本の「ものづくり」よ永遠に (6ページ目)
いったいなぜ、ハリマヤは忽然と姿を消してしまったのだろうか。
今回の取材で黒坂の縁者や当時のハリマヤ関係者にあたったが、そのことについては誰に聞いても口が重かった。当時の事情を知る者も少なくなり、倒産について誰かが責められるものでもないだろう。
日本中がバブル景気に沸き、多くの人々が財テクに走ったあの時代。ハリマヤもまた本業のシューズ製造とはかけはなれた不動産事業や飲食事業などに手を出したようだ。しかしバブルの終焉とともに、それらは露と消え、ハリマヤ本体のシューズ製造もまた88年の歴史に幕を降ろすことになった。
ハリマヤがこの世から姿を消して25年が経とうとしている。
オリンピアサンワーズはいまだに「客がほしいシューズを売ってくれない店」として関西の陸上界では有名で、2代目を継いだ川見は、オーダーメイドのインソールを製作するシューフィッターとして知られた存在だ。
ランナーの足型に合わせたインソールを作ることで、シューズのフィット感を向上させる。そのインソールを装着すれば、より一体感が生まれ、自己記録の更新だけでなく、ケガの防止にもつながる。
川見が「将来必ず必要になるときがやってくる」と残しておいたハリマヤのシューズは今なお大切に保管されており、このインソール作りへとつながっている。
「ハリマヤはシューズの木型がいいんです。それはきっと足袋の木型が原型だからです。足袋は履いたときシワが寄ってしまってはいけない。足袋職人だった黒坂さんのそうした繊細な木型作りが、日本人の足型に合ったシューズを生んだのだと思います。足袋から始まって、足袋のようにフィットして、足袋のように軽く、足袋のように薄くと追求していったから、ハリマヤの技術は高かった。だから私は黒坂さんの足袋が、日本のマラソンシューズの原型なんやと思います」
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