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どん底を味わった宇野昌磨が笑顔を取り戻した出会い 五輪連続メダル、世界王者......栄光の裏側にあった苦悩

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第10回 宇野昌磨 後編(全3回)

 2026年2月のミラノ・コルティナ五輪を前に、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会〜2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。

 第10回は、2018年平昌五輪、2022年北京五輪に出場し、団体戦を含めて日本フィギュア界最多となる3つのメダルを獲得した宇野昌磨の軌跡を振り返る。後編は、恩師との出会い、2大会連続メダル獲得の北京での戦い、そして「表現」を求めてプロ転向するまで。

宇野昌磨(左)とコーチを務めたステファン・ランビエール(右) photo by Kyodo News宇野昌磨(左)とコーチを務めたステファン・ランビエール(右) photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【ステファン・ランビエールとの出会い】

 2019−2020シーズン、宇野昌磨は長年師事してきた山田真知子コーチと樋口美穂子コーチのもとを離れた。しかし、コーチ不在で踏みきった新たな挑戦は、出鼻をくじかれるような結果で始まった。

 GPシリーズのフランス大会は、ショートプログラム(SP)で2回転倒して4位発進。挽回を期したフリーも4回転の転倒があり総合8位と、GPシリーズ初出場の2014年以来、つねに表彰台に上がり続けていた宇野にとっては屈辱の結果になった。

「勝ちたいと思う気持ちで臨んだフランス大会が終わった時は、本当にいろいろなことを考えました。正直なことを言えば、このままなら試合にはしばらく出てはいけないんじゃないか、とか。どれだけ練習しても決していい方向には行かないけれど、それでも練習しなければ上がっていかないと思って練習はするけどよくはならない。ずっとそんな感じでした」

 勝ちを意識したと同時に、スケートを楽しむ意識が消えてしまっていた。「楽しもう」と思うのは「逃げ」だと考えるようになっていた。だが、どん底を味わった時、「逃げてもいいのかな」と思ったという。自分は自分で、他人にどう言われても楽しいほうがいい。頑張ることをやめなければいいんだ、と。そんな思いが芽生えたのは、その後、スイスのステファン・ランビエールコーチのもとで練習を始めるようになってからだった。

「以前は自分で考えながら自分の意見でやることが多かったので、試合の時にコーチがいなくても大丈夫だと思っていました。でも練習の時はコーチがいないと笑えないし、本当に楽しくない。そこがすごくつらかった」

 ランビエールや一緒に練習する島田高志郎とともに、きつい練習を笑いながらできる。そんな楽しさを再確認した宇野は、コーチが帯同したロシア大会では4位だったものの笑顔を見せていた。

 さらに全日本選手権では、フリーで体調不良で崩れた羽生結弦を逆転し、290.57点で優勝。4連覇を達成した。

「羽生選手がもっとすばらしい実力を持っているのは僕も自覚しているし、たぶん全員が知っていると思います。僕のスケート人生のなかの大きな目標として、羽生選手に一度は勝つことがあった。たとえどんな形であろうと、僕がフリーで耐えなければ優勝はなかったので本当に素直にうれしかったです」

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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