どん底を味わった宇野昌磨が笑顔を取り戻した出会い 五輪連続メダル、世界王者......栄光の裏側にあった苦悩 (3ページ目)
【トップになって変化した意識】
北京五輪でひと区切りをつけた羽生とチェンが競技から退いた2022−2023シーズン。宇野は、フリーで自己最高得点の204.47点を出したGPファイナル初制覇を含め、出場する大会で全勝する強さを見せた。
だがそこには自分との戦いもあったという。とくに大会連覇を強く意識して臨んだ世界選手権の頃は暗中模索だった。
「練習でずっと同じ失敗を繰り返している。いつもなら原因がわかることも多いが、いろいろ模索しても変わる気配はなかった。本当に運よく何かが変わるか、もうこのなかでやっていくしかないと覚悟を決めるしかない」
さらに競技前日の公式練習では、傷めていた足首を再びひねって転倒し、途中でリンクを引き上げるアクシデントも発生してさらに追い込まれた。
それでもSPはノーミスで104.63点の1位発進すると、フリーはチャ・ジュンファン(韓国)に僅差で競り勝つ。合計を新ルールで自身3回目の300点台となる301.14点にして連覇を果たした。
2年連続の世界王者という結果について、宇野は「もう一回やったら絶対に無理だなと思う演技をショート、フリーともできました。今できるとしたらこれ以上のことはできないという演技でした」と素直に喜んだ。
一方で、自分の演技に対する意識が変わってきたとも発言した。
「(初優勝した)GPファイナルのフリーも数カ月後まではすばらしい演技だと思っていましたが、世界選手権の前に映像を見た時に『ジャンプだけだな』と感じて、これが僕のやりたかった演技なのかなと疑問もわいてきました。
競技をやる以上はトップで戦って結果を出したいと、ジャンプを頑張るのはすごくいいことだと思うけれど、過去に僕がもうひとつ成し遂げたいと思っていた、表現者としての自分に自信を持てるスケーターを目指してもいいのかなと感じました。僕がトップでなかった時はそんなことは一度もなかったし、表現も頑張りたいと思いつつ結果を出すことを一番に考えていた。だから目標を達成したからこそ、次を考えてもいいんだと思います」
表現への意識をいっそう高めて臨んだ2023−2024シーズン。フリーに4回転アクセルを含む全6種類の4回転を跳べるイリア・マリニン(アメリカ)など、次世代が躍進してきたシーズンだった。
そのなかで宇野はGPファイナルを含むGPシリーズ3試合では、新しい世代に敗れ2位にとどまった。そのなかでも鍵山優真に敗れたNHK杯は、フリーで1位になったが跳んだ4回転4本はすべてが4分の1回転不足の判定となる極めて厳しいジャッジだった。
「ステファン(・ランビエール)は喜んでくれたし、自分でもいい演技だったと思うけれど、4回転の判定はすごく厳しかったなと感じます。ただ、採点は人がつけるものなのでそれぞれだと思うし、『回転不足をつけるのはどうなんだ』という気持ちもないけれど、ただ本当に言えるのは、今日のジャンプ以上を練習でもできる気はしないということ。もし、これが今後の基準になるなら、ここが僕の限界でこれ以上に先はないなと思わされる試合でした」
その後の試合ではNHK杯ほどの厳しいジャッジはなく、全日本選手権も6回目の優勝を決めた。だが、世界選手権はSPを完璧な演技にしてシーズンベストの107.72点を出して1位発進しながら、フリーでは序盤の4回転2本で転倒と回転不足の判定があり、総合4位でメダルを逃した。そして、シーズンが明けた2024年5月には引退を発表した。
多くの選手は五輪シーズンを区切りにするが、2シーズン先の五輪を控えるなかでの宇野の現役引退は驚きでもあった。だが、先輩選手たちに追いつくことだけに胸を弾ませていたかつてとは違い、自分が追求したいフィギュアスケートとは違うものを目指さなければ結果を残せない現実のなかで、自分が目指すべきものは違うと判断したのだろう。
プロスケーターになった今、彼は気の合う仲間たちとともに自身でアイスショーを企画・構成し、自分自身のフィギュアスケートを心から楽しみ、追求している。
終わり
【プロフィール】
宇野昌磨 うの・しょうま/1997年12月17日、愛知県生まれ。全日本選手権優勝6度、世界選手権連覇、2018年平昌五輪銀メダル、2022年北京五輪銅メダルなど華々しい成績を残す。2024年に現役引退し、現在はアイスショー出演などプロスケーターとして活躍している。2025年からは自身が企画・プロデュースしたアイスショー『Ice Brave』および『Ice Brave 2』を開催。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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